「痛い」女子アナほど女優向き? 連続ドラマ初主演に見る宇垣美里の不器用さ

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「演じてきた人」だからこそ、女優として開花できる

 ここで注目したいのは、宇垣さんがずっと「演じて」きたという事実だ。局アナ時代からフリーに至るまで、彼女は常に自らの「キャラクター」に徹し、素の自分を見せないことで自身を守ってきた。それはつまり、与えられた役割を演じるスキルを自然に身に付けてきたということでもある。

 自分のキャラではない、それぞれの場面ごとの「~役」という仮面が与えられる世界、すなわち女優業こそ、彼女が本領を発揮できる舞台ではないだろうか。素の自分を出すことに警戒心を抱く彼女にとって、役柄という特定の方向性がある方がむしろ解放的になれるだろうと思うのだ。

 毒舌タレントが消費されていく時代にあって、キャラを演じ続けてきた宇垣さんだからこそ、本当の役を生きる女優としてのポテンシャルは高い。表情の豊かさ、言葉を紡ぐ力、他人の感情を繊細に切り取る視線。それらは、これまでのバラエティー番組やラジオでは過剰に見えてしまったが、演技の場では強力な武器になり得る。真面目で、敏感で、過剰になってしまうからこそ、役の感情を誰よりも誠実に体現できるはずだ。

 世間が「痛い女」と切り捨てるその瞬間こそ、実は女優としての始まり。彼女がこれまで演じ続けてきたすべては、その未来のための準備運動だったのかもしれない。

冨士海ネコ(ライター)

デイリー新潮編集部

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