7月の参院選で参政党は豊田真由子氏に「出馬要請していた」 所属事務所の“名物女性社長”を直撃「彼女はギリギリまで出るか悩んでいました」
参政党の政調会長補佐として政界に舞い戻った豊田真由子氏(50)。豊田氏はどういう経緯で参政党に入党したのか。豊田氏の活動を陰で支えてきた所属事務所社長に話を聞いた。(前後編の後編)
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【写真】「PRのプロ」が仕掛けた豊田真由子氏の「イメチェン比較画像」。8年前と現在ではこんなにも違う
前編【復活の裏には“振付師”がいた 豊田真由子氏をイメチェンで人気コメンテーターに転身させた“名物女性社長”を直撃「私は参政党入りには猛反対しました」】からの続き
友達として支援していただけ
豊田真由子氏は8年前のパワハラ騒動の影響で衆院選を落選後、しばらくしてPR会社「株式会社サニーサイドアップグループ」に所属。以降、テレビコメンテーターとして活動してきた。ホームページには記載がない、次原悦子社長が直轄する「裏所属」という形だった。
次原氏は「別に隠していたわけではありません。友達つき合いの延長で、会社としても支援することになっただけです」と語る。
「彼女との付き合いがはじまったのは、新潮さん、おたくのあのパワハラ報道があった後くらい。彼女はあの騒動後、議席を失ってボロボロの状態で、今にも自ら命を絶ってしまいそうでした。もちろん許されないパワハラがあったことは事実ですが、裏金をもらったわけでもなく、有権者を騙したわけではない。すでに社会的な制裁を受けたのだから、人生をあきらめないでほしいと本当に思いましたよ。時々ご飯を食べたりしながら馬鹿話をしていただけですけどね」(次原氏、以下同)
ビジネスの関係に発展したのはコロナ禍になってからだという。
「あの頃は会社のコロナ対策や職域接種をどうするかで私も悩んでいて、彼女には色々相談していました。やはり専門家だけあってアドバイスが的確。しかも、素人にもわかりやすく説明してくれるので、私は頼りにしていたのです。そんなやり取りを続けるうちに、彼女ならコロナ対策を解説するテレビコメンテーターとしてやっていけるんじゃないかと思って、知り合いのプロデューサーに声をかけました。そうしたらトントン拍子に話が進んで」(同)
また反対されると思ったんじゃないかな
ただタレントとして所属させたのは「ビジネスありきではない」と語る。
「テレビ局はタレントと直でやり合うのを嫌がり、所属先を求めます。私から売り込んだわけだから、紹介して終わりというわけにはいきません。局から頼みますよと言われ、じゃあウチでやります、という流れになっただけ。テレビコメンテーターのマネジメントなんてビジネスになるわけないじゃないですか。あくまで友人として彼女を支援していただけです」
永田町で複数の政党を回って、豊田氏を候補とするよう勧めていたについては、事実として認めた。
「彼女のテレビコメンテーターとしての仕事ぶりを間近でみてきましたが、事前の勉強量と情報収集は半端ないんです。10分の1もコメントは使われないし、局も視聴者もそこまで求めていないんだから無理しなくていいよ、と言っても聞かない。手を抜けない超真面目な性格ですよ。それがあの時は仇になったのだけど…。ただ現にこうしてお茶の間に受け入れられ赦されたのですから、もう一度チャレンジを与えられてもいいのではないかと思ったのです。彼女を利用しようなんて魂胆ではありません。それをやって私に何の得がありますか」
豊田氏ならば自分が理想とする政策を実現してくれるという期待からの行動だったと話す。
「社会福祉に関しても、経済政策に関しても、女性活躍の件に関しても、私の考えと彼女の意見はとても似ていた。だからいつか豊田には政界復帰してもらいたいなと個人的には思っていました」
豊田氏自身はどうだったのか。
「本人には未練はあったとしても、またボコボコにされるのではという恐怖心の方が上回っていましたから、彼女の口から出たいとは言わないでしょ。だから私が個人的に可能性を探っていただけです。豊田にかかわらず、もし自分の理想とする政策を実現してくれる人がいるのなら、私は支援するし、過去に失敗があっても、スキャンダルがあっても応援しますよ」
ただし豊田氏の参政党入りについては「自分は一切関わっていない」と頑なに否定した。
「私は経団連のダイバーシティ委員長として、選択制夫婦別姓制度の導入の旗振り役を務めています。この政策に反対している参政党を彼女に勧めるわけがありません」
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