復活の裏には“振付師”がいた 豊田真由子氏をイメチェンで人気コメンテーターに転身させた“名物女性社長”を直撃「私は参政党入りには猛反対しました」
メイク、服装のアドバイスまで
実は次原氏が豊田氏を見出し、再プロデュースしていたというのである。
「豊田氏が選挙に落ちて世間から見放されていた時に、次原氏の方から近づいたようだ。そして、周到にタイミングを見計らってテレビに出させた。サニーサイドの所属にさせてね。ただし、中田英寿や前園真聖のようにホームページ上には豊田氏の名前は出てこない。あの会社には次原氏個人の人脈でサポートしている『裏所属』のタレント、文化人がごろごろいるがその内の一人」(同)
次原氏が目をつけたのは、豊田氏の衆院議員になる前のキャリアだったと言う。
「豊田氏は衆院議員になる前、厚労省の役人として公衆衛生を専門としていた。次原氏はこのキャリアに目をつけ、コロナ禍に入ったとき、コロナ対策のコメンテーターならばいけると踏んでテレビ局に売り込んだのです。報道色が強い番組なら一蹴されただろうが、最初に『バイキング』に狙いをつけたところは次原氏らしい。豊田氏は地頭はいい。わかりやすい解説をうまくやってのけ、あっという間にお茶の間に受け入れられた」(同)
このジャーナリストが「感心した」と語るのは、この時に図った“イメチェン”の成功である。
「最初、豊田氏がテレビに出たとき、イメージが変わったとみんなびっくりしたでしょう。かわいらしく前髪作って、ピンクの服を着て。あれは全部次原氏が手取り足取り仕込んだんですよ。最初の頃は、自らマネージャーを買って出てテレビ局まで出向いて豊田氏につきっきりだったと聞いている」(同)
次原氏は直撃に「参政党は本当に知らない!」
次原氏の豊田氏のヘアメイクに対する尋常ではないこだわりぶりについて、テレビ局関係者は次のように証言する。
「眉毛の形まで、ヘアメイクにしつこく口出ししていたのは有名な話です。タレントでもないコメンテーターのメイクにまで上場会社の社長が細かく指示していると、当時業界では有名な笑い話になりました」
しかも、次原氏は「その後の展開まで見越して動いていた」とジャーナリストは続ける。
「豊田氏が関西でレギュラー番組を持ち、大阪で人気者になると、次原氏はさまざまな政党を渡り歩いて、豊田氏を政界復帰させようと、猛プッシュし始めた。経団連の要職に就いてからは、次原氏は政界への影響力を一段と強めており、豊田氏を利用しようとしたのでしょう。さすがに自民党は豊田氏の再起用に全く興味を示しませんでしたが、一部の野党は満更でもない様子だったと聞いている」(同)
さらに驚くべきことを明かすのである。
「参政党も豊田氏に数カ月前から接触していた。参院選でも出馬を打診し、豊田氏は前向きな姿勢を示していたようです」
これらは一切表に出ていない話である。次原氏はいったい何を企んでいるのだろうかーー。自宅を訪ねると玄関先で取材に応じ、「全然違います」「私じゃないです!」と参政党入りへの関与について大あらわで否定した。
「確かに彼女をウチがサポートしてきましたし、永田町の知人たちに彼女の話をしていたのも事実ですが、参政党の話は本当に知りません。私はいま経団連で選択的夫婦別姓の旗振り役をしている立場です。今、この政策に真っ向から反対を表明している参政党に彼女を推薦するということは絶対にありません。むしろ私は参政党入りは反対していましたよ」
そして次原氏は「どうしてこういうことになったのか。彼女が何を考えているかも、もうわからない」と語り、これまでのやり取りを打ち明け始めたのである。
後編【7月の参院選で参政党は豊田真由子氏に「出馬要請していた」 所属事務所の“名物女性社長”を直撃「彼女はギリギリまで出るか悩んでいました」】では、次原氏が豊田氏と出会い、“決裂”するまでの経緯を語っている。











