「あなたも“歌の壁”にぶつかったのね」…失意のどん底にいた「坂本冬美」を救った今年で94歳“大先輩”の熱い言葉

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 夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さん。これまでの取材データから、俳優、歌手、タレント、芸人……第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第35回は歌手の坂本冬美さん(58)。順調に見えた歌手生活に突然訪れた危機――それを救ってくれたのは、幼少期から憧れた、大物歌手の一言でした。

不思議な空気の新曲発表会見

 芸能の取材を始めてから、今も鮮明な記憶として残っているのは1994年、日比谷松本楼で行われた坂本冬美「夜桜お七」の新曲発表会見である。

 松本楼といえば、今も毎年秋に行われる「カレーチャリティー」が有名だが、そこで演歌の会見? なんとも不思議な気がして印象深かったのだが、縁起がいい店というのが理由だったようだ。

 会場には着物姿の坂本と、作曲家の三木たかしの姿があった。

「夜桜お七」は歌人・林あまりが連作した、恋に身をやつすお七の物語が元になっている。後々、それが坂本の代表曲になることも、個人的に紅白歌合戦の紅組のトリで聴きたい曲の一つになることも、その時はまったく想像もしていなかった(坂本は昨年まで、紅白は36回出場)。

 そんな坂本とは先輩記者がつないでくれた縁で、何度も話を伺った。

「おふくろメシ」というテーマでは茶粥と一緒に食べたという「高野豆腐」を紹介してくれた。「涙と笑いの酒人生」では恩師・猪俣公章が、夜になると六本木を3軒ハシゴする酔っ払いぶりなどを語ってくれた。

 一見すると、坂本には歌手人生を波風なく過ごし、スター街道を走ってきたイメージがあるが、失意のどん底を経験、身心のバランスを崩し、自分を見失った時期があった。

 その始まりは97年の父親の事故死。釣り好きだった父親が出かけたまま戻らず、騒動になったのである。

 元々、鉄砲玉みたいなところがある自由人で、坂本は「彼女でもできたんじゃないの」と笑い飛ばしていた。しかし、4日たっても戻らない。芸能人である坂本のことを考えるあまり、家族が警察に届けないままにしていたことで逆に騒ぎになってしまった。付近の海の捜索をダイバーにお願いしたところ、海の中から父親が乗っていた車が見つかり、溺死体が見つかった。

 当時の坂本の落胆ぶりは痛々しいほどだった。再び歌えるようになるか、危ぶむ声もあった。実際、坂本はデビュー以来の緊張の糸がプッツリ切れてしまったそうで、「私の人生を変えた一曲」というインタビューでは、こう語っている。

「最大のピンチは一切の活動を休止すると発表した02年。ちょうど15周年を迎えていた。理由はその5年前に最愛の父親が突然事故で亡くなり、体調不良に陥ったことなどだった」

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