「あなたも“歌の壁”にぶつかったのね」…失意のどん底にいた「坂本冬美」を救った今年で94歳“大先輩”の熱い言葉

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歌うことを止める

 活動休止の発表は02年3月。様々な憶測が流れたことはいうまでもない。坂本は自宅をすべて処分し、髪をバッサリ切り、二度と和服を着て髪を結えないようにして、その覚悟を胸に誓った。

 最初に向かった先は残された母親がいる故郷、和歌山の実家。それから恩師の友人夫婦と米国旅行に出かけるなどしてリフレッシュに務めた。

 そうして86年のデビューから走り続けた時間を振り返り、改めて自分を取り戻そうとした。しかし、恩師もとうに他界して、誰も頼ることができず、抜け殻のようになった歌手・坂本の姿だけが残ることに。

 母親が願っていた、結婚して孫の顔を見せるなんてとても、とても……。当時は重病説、プロ野球の有名監督とのウワサが流れたが、本人はのちの「もうすぐ30年」という連載の中で、デビューしてから付き合っている男性がいたと告白したものの、再びウワサが広がった「彼氏疑惑」も含めて、キッパリ否定した。

 そんな坂本の前に現れたのが、浪曲からの叩き上げで「岸壁の母」で知られる大先輩、二葉百合子(94)だった。

 たまたまテレビを見ていた母親が「二葉百合子さんが歌っている」と教えてくれた。二葉の「65周年コンサート」が放送されており、「岸壁の母」を歌っていた。

 活動を休止してからテレビを見ていなかった坂本は、その映像を見てハッとした。「岸壁の母」には思い入れがあった。小学5年の時に級友のお誕生日会が行われ、当時ヒットしていた「岸壁の母」のミニ芝居をやることになり、坂本は母親役を演じた。その記憶が蘇り、テレビに釘付けになった。

 二葉とはデビューの頃に一度出会っている。「私は二葉先生に縋るしかない」。それが歌手・坂本の勘どころ。そう決心し、二葉宛に電話番号を添えた手紙を書いた。すると電話がかかってきて「すぐいらっしゃい」と言う。二葉も坂本のデビュー後、音楽番組で初めて会った時のことを覚えていて、その際の坂本の目力が印象に残っていたという。

 東京の二葉の家を訪ねると、こう言われた。

「あなたも『歌の壁』にぶつかったのね」

 それを聞いて、まさかと思いながら、「先生も壁にぶつかったことがあるんですか」と尋ねた。

「そうよ。何度も壁にぶつかっては乗り越えてきたのよ。その壁に気がつくことは成長した証しなの」

いくつもの壁を乗り越えて

 二葉には発声を一から習い、「よく漫画で殴られて星が出るようなクラクラする衝撃を受けた」と語った。のちに二葉は坂本に「『岸壁の母』を歌い継いでほしい」と託した。

 復帰は周囲のアドバイスも大きかった。杉良太郎・伍代夏子夫妻、「夜桜お七」をプロデュ―スした小西良太郎、二葉……。小西には「コバちゃん(事務所の小林甫社長)に話さないとダメだ」と言われたそうだ。

 その甲斐あって03年3月に会見、4月1日のNHK出演の流れで無事、復帰することができた。

 男唄の「あばれ太鼓」でデビュー、忌野清志郎と共演、二葉との出会い、復帰後はビリー・バンバンの「また君に恋してる」をカバーしてヒット、桑田圭佑による「ブッダのように私は死んだ」……。直近では五木ひろしの座長公演の騒動もあった。座長の五木が急病で倒れ、坂本が座長不在の舞台を一身に背負った。

「夜桜お七」を歌う坂本は「七変化」で幅広いジャンルをこなすが、第2ラウンドのゴングを鳴らしてくれたのは間違いなく二葉百合子だった。

峯田淳/コラムニスト

デイリー新潮編集部

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