「小室弁護士夫妻」の帰国は年末? 「紀子さま」が1万字文書に込められた“願い”は? 皇室記者が語る「秋篠宮家」の秋

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 秋篠宮妃の紀子さまが9月11日に59歳の誕生日を迎え、宮内記者会からの質問に文書で回答を寄せられた。その文書、実に1万字を優に超え。これまでとは一線を画す長さだ。その意味とは……。皇室記者3人に読み解いてもらった。

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 ――まずは一読された感想を。

 記者A:長いよね、昨年の倍以上の文章量だ。

 記者B:昨年は5000字程度でしたが、今年は11000字を超えています。ちなみに、秋篠宮さまが皇嗣(編註:皇室典範において皇位継承順位第1位の皇族を指す呼称)になられた2019年の紀子さまの回答文は2000字程度でした。以来、文章量は増える傾向にありましたが、ここまで増えるとは。

 記者C:今年は戦後80年であり広島などへも行かれていますし、大阪万博を訪れたりもしています。例年にない公務があり、文章量が増えるのはわかりますが、それにしても長い。

 ――文書の冒頭が〈成年式を終えて〉だったように、9月6日に長男である悠仁さまが成年式を迎えられたことも長文になった要因でしょうか。

 記者A:悠仁さまが成年皇族となり、将来の天皇となる道を歩み始めた。その息子のことを国民に知ってもらいたいという思いがにじみ出ているように思います。本当の姿を知ってもらえたら、きっと親しみを覚えてもらえるはずという紀子さまの期待も窺えます。

現存した山吹色のビートル

 記者B:宮内庁が明かしてこなかった、筑波大生となられた悠仁さまに関する具体的なエピソードもありました。《ときにはこちらの畑で育てた野菜を自炊するためにつくばへ持っていくこともあり》などとも綴られています。ほのぼのとした素朴なエピソードが盛り込まれているのは、次のお世継ぎにふさわしいと国民にわかってもらいたい、受け入れてもらいたいという紀子さまの気持ちの表れだと思います。

 記者C:これまで皇嗣職大夫は会見で「悠仁さまはつくばの家に泊まったのか」などと記者から問われても「わかりません」といった受け答えばかりでしたが、紀子さまは文書の中で、大夫が答えなかったこともさらっと書いています。《暮らす場所も東京と茨城(つくば)と組み合わせた形になり》とか《悠仁は今年の春に運転免許証を取得しました》、さらには《宮さまが大学時代から愛用されてきた山吹色のビートルを時々運転しています》とまで。秋篠宮さまが学生時代に乗っていた“山吹色のビートル”です。

 ――前輪の車高を落としたビートルですね。

 記者C:秋篠宮さまが20歳になられた頃、中古で購入されたんですよ。確か10年落ちくらいのビートルだったと思います。その後、ノーマルではつるんとしたボンネットを、アメ車っぽい“フォードマスク”に換えられたんです。まだ残っていたとは、ビックリしました。ともあれ、悠仁さまが一般の学生や若者と同じような生活を送っていることを知ってもらいたいということなのでしょう。

 ――実は秋篠宮家は仲良くされていると?

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