「飯でも食べて頑張るか」と“最後の晩餐”…NHK「ニュースセンター9時」小浜維人氏、脳出血を乗り越えた先のガン闘病

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 1974年4月1日からNHKで始まった「ニュースセンター9時」は、キャスター制ニュース番組の草分け的存在とされる。NHK公式サイトの表現を使うなら「キャスターや取材記者が語りかけるスタイルにニュース番組を大転換」。初代の磯村尚徳氏から最後の宮崎緑氏まで、歴代キャスターはそのままNHKの顔でもあった。

 小浜維人氏は1979年から1982年までの3年間を担当した。大きめの眼鏡にオールバック、わずかに高めの声を懐かしく思い出す人は多いだろう。退任後は解説委員となり、1990年に脳出血で倒れたものの、見事復帰を果たして解説委員長に。NHK退局後は政治評論家として活躍した。

 1999年4月にガンが発覚し、同年9月24日死去。64歳という早すぎる死であった。当時、家族が「週刊新潮」に明かしていた“死の前夜の印象的なエピソード”とは――。

(以下、「週刊新潮」1999年10月7日号「『64歳の死』元NHKキャスター『小浜維人』ガン闘病記」を再編集しました。文中の年齢は掲載当時のものです)

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10月末に講演の予定を入れていた

 政治評論家の小浜維人氏(64)が1999(平成11)年9月24日に亡くなった。かつて「ニュースセンター9時」のキャスターを務めたNHKの顔だった。死去の9年前、脳出血に倒れ、復帰を果たしたが、今度は食道ガンが襲いかかった。

「今年(1999年)の4月、父が“喉が詰まる”と言いだしたのです。近所の掛かりつけの医師に診せたところ、食道ガンが発見されました。さらに順天堂大病院の再検査でリンパ節への転移が認められたのです」

 こう語るのは小浜氏の長男である。ただちに抗ガン剤治療とX線照射が施され、7月12日には手術が行われた。

「思ったよりガンは広がっていました。完治はとうてい望めないとのことでしたので、できる範囲で切除しました」

 1週間ほど集中治療室に入った後、一般病棟に移り9月2日に退院した。長男が続ける。

「退院後の父は社会復帰に向けてリハビリに励んでいました。長い距離を歩いたり、様々な努力をしていました。10月末には講演の予定も入れていました。その仕事が入ってから父の気力は充実し、目の色が変わりました。私が“仕事を断ろうか”と言いましたら、父からは“俺の目標がなくなるからやめてくれよ”と言われました」

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