チョコプラ丸刈り謝罪は「不誠実」か「芸人の意地」か 賛否両論を呼んだ一手に好印象

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

高度な芸人の流儀

 だが、個人的にはこの行為には彼らの芸人としての意地を感じて、好印象を抱いた。単なる謝罪だけで終わらせるのではなく、そこに「笑い」という要素を無理矢理ねじ込む。謝罪の形式を守りながら、その枠内で「失言していない長田の方が損をする」という皮肉な構造を演出する。これは露骨にふざけるのではなく、あくまで誠意を示す形を取りながら、その中に笑いを残すという高度な芸人の流儀であると言える。

 また、丸刈りは一度やったら終わりではなく、その後の活動にまで影響を与える。今後しばらくの間、彼らはテレビやイベントにも丸坊主の姿で登場することになる。そのたびに「なぜ2人とも坊主なのか」「あの事件のせいだ」などという話題が浮上して、それを笑いのネタとして活用できる。騒動を逆手に取り、自らの失言すら新たな笑いの材料に変えてしまうしたたかさがそこにはある。これは芸人としての本能的な生存戦略とも言える。

 もちろん、この態度を快く思わない人もいるだろう。「謝罪の場でふざけるな」「誠意を欠いている」と感じる人にとっては、丸刈りパフォーマンスは逆効果でしかない。しかし、芸人の本分は人を楽しませることであると考えている人にとっては、むしろ今回の対応は「逆境でも笑いに変える姿勢」として肯定的に映ったはずだ。

 重要なのは、彼らが今後この出来事をどのように仕事につなげていくかである。丸坊主の姿で現れる彼らが、新しい笑いを生み出せるか、それとも「ふざけた謝罪」として悪い印象を残しただけで終わるのか。その答えは、これからの舞台や番組の中で彼ら自身が示していくしかない。失言から始まった騒動を、笑いに変えて再び自分たちの強みにしていけるかどうか。彼らが芸人としての真価を問われるのはこれからなのだ。

ラリー遠田(らりー・とおだ)
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)など著書多数。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。