“純国産打線”で栄冠をつかんだケースも…主力の外国人バッターがいなくても優勝を勝ち取った「球史に残るチーム列伝」

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 今季2年ぶりVをはたした阪神は、森下翔太、佐藤輝明、大山悠輔の主軸をはじめ、主力に外国人打者が不在だったのも特徴のひとつである。昭和期には王貞治、長嶋茂雄のONがいたV9時代の巨人に代表されるように、“純国産打線”のチームが栄冠を手にした例も少なくないが、打てる助っ人が必要不可欠となった近年のプロ野球においては、ある意味、快挙と言えるだろう。主力に外国人打者が不在で優勝したチームを振り返ってみよう。【久保田龍雄/ライター】

やるだけやろう

 まずは阪神から。1985年の日本一の年にはバース、2003年にはアリアス、05年にはシーツ、そして、“アレ”を実現した2023年にも、ノイジーが中軸に名を連ねていた。

 その一方で、1964年は、打率.175という打撃不振により、4月中に解雇されたベルトイアがいただけで、事実上、純国産打線で2年ぶりのリーグ制覇を実現している。

 2年前の62年は、27勝の小山正明、25勝の村山実の両エースを中心とする“守りの野球”で優勝も、チーム打率はリーグ5位の.222と貧打に泣いた。

 そのネックを解消すべく、63年オフ、小山を放出し、大毎の4番・山内一弘を獲得する“世紀のトレード”を断行。小山の穴を埋めるため、同年22本塁打を記録したソロムコを大毎の若生智男と交換した結果、主力の助っ人打者も不在となった。

 そして、この補強は成功をもたらす。翌64年、山内は6月まで打率2割3分台と不調だったものの、最終的に31本塁打、94打点を記録して得点力不足を解消。投手陣もバッキーが29勝、村山が22勝と安定し、2年ぶりVを達成した。

 大洋との熾烈なデッドヒートの末、9月30日のシーズン最終戦で優勝を決めた藤本定義監督は「(9月11日から)広島、中日に6連敗したときは、もうダメかなと思ったが、『やるだけやろう』と選手にも話して(以後9連勝で)ここまで来たのです。一昨年の優勝より何倍も苦しい優勝だった」と感無量の面持ちだった。

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