“純国産打線”で栄冠をつかんだケースも…主力の外国人バッターがいなくても優勝を勝ち取った「球史に残るチーム列伝」
王監督時代のダイエーも
外国人打者不在の“純国産打線”でリーグ優勝をはたしたのが、1986年の広島である。
これまで4度のリーグ優勝は、ホプキンス、ライトルらの助っ人が打線で重要な役割を演じてきたが、阿南準郎監督1年目の同年は、古葉竹識監督最終年の前年同様、投手も含めて助っ人はゼロ。打線は山本浩二、衣笠祥雄の両ベテランが中心に座った。
同年限りで引退した山本は打率.276、27本塁打、衣笠も.205、24本塁打と力の衰えは顕著ながら、1番・高橋慶彦が21本塁打、39盗塁、3番に定着した長内孝が19本塁打、58打点を記録するなど、世代交代も進んだ。
73勝中3得点以下が24試合と、けっして得点力が高いと言えない打線を、リーグで唯一防御率2点台を記録した強力投手陣が支えた。18勝で最多勝に輝いた北別府学をはじめ、川口和久、金石昭人、新人の長冨浩志の4人が二桁勝利をマークし、4勝22セーブの守護神・津田恒実が締めた。
選手の力を信じて我慢の起用を重ねた阿南監督は「打てなければ守りきればいい」「引き分けでも負けなければいい」と勝率重視の負けない野球に徹し、“本命”巨人にゲーム差なしのわずか3厘差で2年ぶりVを実現した。
広島は山本浩二監督時代の91年にも、アレン、バークレオの両助っ人は出場機会が少なかったが、4番・西田真二の前後を前田智徳、江藤智らの若手が担う新打線とリーグ屈指の投手陣で、5年ぶりVを達成している。
1990年代以降では、99、00年と連覇した王貞治監督時代のダイエーも、主力9人は基本日本人選手で構成されていた。
助っ人は、MLB通算63本塁打のニエベス、00年は前年ブルワーズで105試合に出場したスイッチヒッターのバンクスもいた。
だが、ニエベスは99年に17本塁打、00年も15本塁打を記録も、三振が多いなど確実性に乏しく、2年連続規定打席に到達せずに終わる。バンクスも打撃不振から出場32試合の打率.149、0本塁打にとどまった。
この結果、打線は小久保裕紀、城島健司、秋山幸二、松中信彦らが中心となり、福岡移転後初Vの99年は、チーム打率もリーグ4位の.257と今ひとつだったが、翌00年はリーグ2位の.268に上昇した。
レインボー打線
そして、連覇の原動力となったのは、安定した投手陣だった。99年はチーム防御率こそリーグ4位の3.65ながら、最優秀防御率を獲得した工藤公康、永井智浩、若田部健一らの主力先発陣とリリーフエース・篠原貴行がうまくかみ合った。捨て試合をつくり、主力投手で勝てる試合を確実にモノにする戦法が、南海時代以来、26年ぶりVにつながった。
大黒柱・工藤がFAで抜けた翌00年も、二桁投手不在という優勝チームでは前代未聞の珍事のなか、吉田修司、渡辺正和、篠原らが最強中継ぎ陣を構成。抑えのペドラザも35セーブを記録し、戦前の予想を覆して連覇を達成した。
主力に外国人打者がいない優勝チームは、投手力の安定という点で共通している。
これに対し、圧倒的な投打で、日本一を達成したのが、2002年の巨人だ。
同年は助っ人として、スイッチヒッターのクレスポを獲得したが、4月30日の広島戦で2打席連続本塁打を記録した以外はパッとせず、出場22試合の打率.122に終わる。
だが、実質助っ人不在の打線は、50本塁打、107打点で二冠に輝いたNPB最終年の松井秀喜、リーグ最多安打の清水隆行、高橋由伸、阿部慎之助、二岡智宏、江藤智らの“レインボー打線”で、リーグトップのチーム打率.272と186本塁打を記録。
投手陣も最優秀防御率(2.22)の桑田真澄、最多勝(17勝)の上原浩治、高橋尚成、工藤公康、5勝28セーブの守護神・河原純一と質量ともに充実し、2位・ヤクルトに11ゲーム差、日本シリーズでも西武を4タテと段違いの実力を発揮した。











