「また内部昇格か…」 ヤクルト来季指揮官に「池山二軍監督」が最有力で広がる失望 イースタンリーグでも“ビリ独走” 過去には外様の「広岡、野村」で黄金期が

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家族主義

 実は、池山氏の昇格には、いかにもヤクルトらしい球団体質が現れているという。

 身内に優しいファミリー球団――。これこそがヤクルトのDNAである。球団創設は75年前。1970年、ヤクルトが完全買収した際の松園尚巳初代オーナーは「家族主義」を唱え、それが受け継がれてきた。

「歴代オーナーの意向で大型トレードも少なく、FAによる大物選手獲得のマネーゲームにも参戦しない。生え抜きで主力を固め、実績を残した選手については“終身雇用”とし、引退後もフロントや監督、コーチとして厚遇してきました」(古参の野球記者)

 こうしたことから、ヤクルトは球界で「12球団一、居心地の良い球団」と言われる。球団やチームの和が乱れない一方で、

「勝利への執着が他球団に比べて薄いように見えます。成績が悪くても、首を切られたり、トレードに出されたりといったことが稀で、緊張感に欠けるのです。良い意味でも悪い意味でも、ガツガツしたところがない。球団の指導者として選ばれる基準も、本人の力量より、有力OBによるポストの回し合いが優先される側面が大きい。それが、ヤクルトが低迷期に陥る際のパターンでした」(同)

広岡、野村の先例

 池山氏が就任すれば二軍監督からの昇格となるが、高津監督もやはりその前は二軍監督だった。その前の小川淳司、真中満、若松勉監督も二軍監督を経験してからの昇格。退任→内部昇格は既定路線と言ってよい。

 しかし、過去のヤクルトの歴史を見ると、むしろ外部からの監督招聘が成功を収めている。ヤクルトが球団創設以来、29年目にして初めてリーグ優勝、日本一に輝いたのは1978年。指揮を執ったのは徹底した管理野球で鳴らした広岡達朗監督だった。広岡氏は直前にはヤクルトでコーチを務めていたものの、もともとは巨人のOBである。そして1990年代に黄金時代を築いたのは、ID野球の野村監督。野村氏は監督就任までヤクルトとは無縁だった。ヤクルトはこれまで9回リーグ優勝に輝いているがそのうち5回、日本一6回のうち4回は、この2監督の時代の功績である。

「2001年には若松監督が日本一になっていますが、この時の主力にも古田敦也、石井一久など、野村監督時代の主力が多くいた。広岡、野村両監督共に、ヤクルトに長年染みついた“ぬるま湯体質”を一掃した監督であったことが共通点です」(同)

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