「熊の駆除」にクレーム殺到…合鴨を絞めて“一線”を越えた「地方在住のネットニュース編集者」が言いたいこと
一線を越えた瞬間
一方、【いくら殺してもクレームが入らない】生き物もいる。以下がその例だ。
ゴキブリ、蠅、コバエ、カラス、ダニ、ノミ、ボウフラ、イナゴ
また、特定外来種として駆除(または食用)が推奨される生き物(ブラックバス、ブルーギル、ミシシッピアカガメ、アメリカザリガニ、ウシガエル、カミツキガメ、キョン)も、クレームの対象になりにくい。ただし、子亀は「かわいそう」と思われる場合がある。
2021年、イギリスではロブスターやイカ、タコが「痛みを感じる」として、茹でて殺すことを禁止する法案が検討された。法案は成立していないが、確かに多くの生き物は痛みを感じる可能性がある。私は釣りが趣味だが、針が喉に引っかかった魚が「グーグー」「キューキュー」と鳴くのを聞くたびに、「ごめんね、すぐ取るから」と謝る。しかし、暴れる魚の針を外すのは簡単ではない。特にフグは針を丸呑みするため、外すのに苦労する。腹を膨らませ、ギューギュー鳴きながら恨めしそうに見つめる姿は印象的だ。イトヒキハゼは口に手を入れるとザラザラの歯で噛みつき、「テカミ」「ユビカミ」と呼ばれる理由がよく分かる。
そしてハゼやカサゴ、ハタ類は大きくクリクリした目、巨大でぼってりとした口はかわいい。だが、人間は彼らを容赦なく食べてしまう。それは、哺乳類と魚介類(虫)の違いなのではないだろうか。
哺乳類に対しては殺すのを躊躇してしまうし、「なんてかわいそうな」という気持ちになる。一方、魚を釣り上げた時、いきなり頭を上の方に折って血を抜いてそのまま氷に入れてしまうことがある。こうすると味が良くなるからである。魚の場合は血が出ても神経に針金を刺してもあまり心が動かない。しかし、合鴨を絞めた時は、「一線を越えた」と思った。
人間の性
合鴨農法で米を作っている農家へ収穫後に行ったのだが、鴨を捕まえてまずは両脚を縛る。それをぶら下げ、頭の方に血をまわし、頸動脈をナイフで切る。すると血が噴き出るのだが、これをやった時は、友人と「魚の時とは違う一線を越えたな……」と互いに感想を述べあった。その後は、首を完全に切り落とし、毛をむしって精肉だけにして家に持って帰ってカレーにして食べた。あの時の鴨のうらめしそうな眼も忘れられない。
なぜ鴨を殺したかといえば、そのまま翌年の稲作時期まで飼うと新たな鴨を春に買うよりもコストがかかるからである。米を収穫するために散々鴨に助けてもらって最後は「エサ代がかかる」で切り捨てる。これが人間の性だ。
というわけで、結局生き物の命を奪うにあたっては、明確な基準はなく、個々人の感情次第なのだ。クレームをつける人は、自分の感覚を人間社会全体の利益と反して押し付けている。熊は、「プーさん」や「くまモン」ではない。アライグマも「ラスカル」ではないのだ。クレーマーはご自身の脳内の「お花畑」な感覚を、市民を守ろうとする自治体やハンターにぶつけるべきではない。
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