「宮内庁も小室さん側も“無難にまとめた”」 悠仁さまの「成年の祝宴」に愛子さま、小室夫妻が欠席となった「複雑な事情」

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【前後編の後編/前編からの続き】

 皇室では40年ぶりとなる男性皇族の成年式が、9月6日に執り行われる。この日が19歳のお誕生日でもある秋篠宮家の長男・悠仁さまは朝から儀式に臨まれ、夜にはお身内による私的な祝宴が催される。が、いとこにあたる愛子さまは、この宴を欠席されるというのだ。

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 前編【悠仁さま「成年の祝宴」に愛子さまがご欠席するのは“ライフワーク”のため 過去にも「両家バッティング」が多発】では、愛子さまが悠仁さまの「成年の祝宴」をご欠席される理由について報じた。

 さる皇室ジャーナリストが、こまれでの「両家バッティング」について振り返る。

「2022年の3月17日、愛子さまの成年会見が行われた時のことです。当日の愛子さまは堂々たるお振る舞いで初の単独会見をこなされ、そのお姿はメディアで称賛されました。ところが、この日は悠仁さまが通われていたお茶の水女子大学附属中の卒業式でもあった。こちらのニュースは、愛子さまの話題でかき消されてしまう格好となったのです」

 当時、秋篠宮家は小室さんの問題が尾を引き、世間の批判を浴びている最中だった。悠仁さまの門出のニュースは、ご一家に吹き荒れる逆風ムードを一変するのでは――そんな期待も込められていたのだが、あえなく“ご破算”となってしまったのだ。

「紀子さまは大いに落胆され、側近らに対して“どうしてこのようなことになったのでしょうか”とお嘆きになっていました。そして1週間後には、宮内庁の西村泰彦長官が定例会見で“私のミス”と調整不足を認め、陳謝するという異例の結末を迎えたのです」(同)

“私的ご旅行”と弁明

 紀子妃のご不興がその端緒となったのは言うまでもない。続けて、

「同じ年の10月1日、コロナ禍で皇室のご活動が中断されていた中、両陛下が国体開会式ご出席のため栃木県に行幸啓されました。すなわち皇室が本格的に始動するという記念すべき日だったのですが、まさにその日、学校の秋休みを利用した悠仁さまが、伊勢神宮を参拝なさったのです」(前出のジャーナリスト)

 宮内庁は当時、あくまで“私的ご旅行”であると弁明したのだが、陛下の重要な行事の日と重なったことで、またしても物議を醸してしまったのである。

「これらはいずれも侍従職と皇嗣職との連携不足が引き起こしたもので、つまりは役所の不手際でしかなかった。それでも外形的には、まるで天皇家と皇嗣家との間がギクシャクしているかのような印象を世間に与えてしまいました」(同)

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