“そろそろヤクザも限界かな” 「トラック野郎」に菅原文太が出演を決めた秘話 ワンシーンに出演した宇崎竜童は「出演料をもらったのかどうかもよく分かんない」

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「寅さんに対抗するには、これだと思った」

 70年代半ばの菅原文太といえば、深作欣二監督がメガホンを取った「仁義なき戦い」シリーズなど、東映が誇る“実録ヤクザ路線”でトップをひた走る大スター。が、その実録路線も行き詰まりを見せていた。

 トラック野郎の構想を聞いた文太はすぐさま乗り気になり、彼の病室がスタッフの打ち合わせ場所となったという。

「キンキンから構想を聞いたとき、寅さんに対抗するには、これだと思ったんですよ」(福永氏)

“寅さん”とは、もちろん「男はつらいよ」のこと。夏と正月に公開されるこの松竹の国民的シリーズは、観客動員数が200万人を超えることも珍しくない“一人勝ち”状態だった。

「だから名前もあっちは寅次郎、こっちは桃次郎。『男はつらいよ』は、かなり意識していました」(同)

“銀行強盗は一緒にできなくなったけど……”

 かくして75年8月に公開された「トラック野郎 御意見無用」には、「スモーキン・ブギ」や「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」といったヒット曲で人気を博していたダウン・タウン・ブギウギ・バンドの面々が出演している。のちに俳優としても活躍することになるリーダーの宇崎竜童(79)にとっては、これが銀幕デビューだった。

 出演の経緯を宇崎が回想する。

「当時、私は都内赤坂の一ツ木通りで『ブギウギハウス』という店をやっていました。そこに深作監督と文太さんがふらりとやってこられたんです。口火を切ったのは深作さん。“『仁義なき戦い』シリーズが終わって、次に何をやろうかと話しているんだけど、『ダウン・タウン~』のメンバーと文太で銀行強盗をやるという話を考えているんだ”と。そして“出る気はあるか?”。僕らも『仁義なき戦い』は全部見てるんで、そのコンビが誘ってくれたというのがものすごく光栄でね。もちろん出ると即答しました。深作さんは喜んでくださいました」

 追って会社から連絡が来るから、と言われた宇崎だったが、待てど暮らせど音沙汰なし。やがて、今度は文太が一人で店を訪れた。

「愛川さんがトラック野郎という企画を持ち込んで、会社も乗ったので、あの話は流れちゃったよ、と。そして“銀行強盗は一緒にできなくなったけど、ワンシーンでいいから出てくれないかな”と言われたんです」

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