平成ギャルは「叩かれて上等」の雰囲気あった 「見た目で判断されても、中身を見せればいい」

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藤田志穂さんインタビュー第3回

「ギャル社長」として知られる藤田志穂さん(40)。幼いころは一人っ子で静かだったが、ギャル雑誌と出会い、変貌した。制服のない高校で仲間を見つけ、バイト代のすべてをファッションやメイクにつぎ込む日々。ギャルだった当時について、「見た目で判断されても、中身を見せればいいと思っていた」と振り返る。(全4回の第3回)

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――幼少期は、どのような子どもでしたか。

 一人っ子で静かでした。好きなものがあればそれで満足でした。ただ、親は「友達を連れて帰ってくる子だった」と言っていました。一人で公園に行っても、なぜか必ず友達を連れて帰ってきたんです。「静かだからかわいそうに思われて、声をかけられたんじゃないか」と親は言っていましたね(笑)。

――部活動はやっていましたか。

 中学は剣道部。高校はギャルになっていたので、洋服やメイク道具を買うためにバイト三昧でした。

――そもそもギャルになった理由は何ですか。

 雑誌「egg」や「Popteen」を見て、ギャルのメイクやファッションに惹かれていきました。時代的には、浜崎あゆみさん、倖田來未さん、西野カナさん、加藤ミリヤさんなどが出てきた頃です。

 もともとメイクに興味があり、キレイにしたい、髪を長くして巻きたいという気持ちがありました。ギャル雑誌は「私のやりたいことが詰まっている」なと思ったんです。

――ギャルになってみて、どういう心境でしたか。

 最初は軽い気持ちでしたが、実際にそうなると周りから「ギャル」と見られるようになります。自分の意志というよりも「ギャルでいる自分」が定着していく感覚です。親は最初びっくりしていましたが、特に強く反対されることはありませんでした。私が元気にやっているならそれでいい、という感じだったと思います。

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