平成ギャルは「叩かれて上等」の雰囲気あった 「見た目で判断されても、中身を見せればいい」

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高校の時は皆勤賞

――高校はどんな学校だったんですか。

 制服がなく、自由な学校でした。千葉県の通信制だったのですが、神奈川や栃木、埼玉などからいろんな子が来ていました。私よりもすごいギャルファッションの子もいましたし、オタクっぽい子もいました。

 私は最初、CanCam系を目指していましたが、結局「ギャルは高校生のうちしかできない」と思ってギャルになりました。

 先生からは髪色やメイクでよく指導を受けました。でも、3年間一度も休んだことはなく、皆勤賞でした。「ちゃんと勉強して成績も取っているから」と言い返したこともあります(笑)。そのうち先生も「まあ、彼女は彼女なりに頑張っている」と見守ってくれました。

 友達関係では、見た目で敬遠されることもありました。でも、ギャル同士は仲間意識が強まって、結果的には楽しい学生生活になりました。ギャルでいるために、アルバイトも一生懸命でした。

――どんなバイトをしていましたか。

 中学校を卒業した春休みからアルバイトを探していて、最初はフードコートで皿洗い。その後、運輸会社で伝票整理を3年半やりました。ほぼ毎日、夕方5時から夜9時まで働いていました。

――バイト代の使い道は?

 ギャルの服やメイクです。洋服はワンピース1万8000円とか、初めてのエクステは7万円。1か月で取れてしまうので、そのたびに付け直していました。ネイルや日サロ代もかかり、日サロは週1くらいで通っていました。だから、お金はすぐなくなりましたね。でも、高校の卒業旅行で友達と2人でグアムに行けるくらいは稼いでいました。

――当時はギャル文化の全盛期でしたね。

 益若つばささんや小森純さんが同世代です。18歳を超えてもギャルを続ける子が増えて、ギャル文化が広がっていった時代です。「肌は黒く、髪は明るく」が鉄則でしたが、後に「白ギャル」なども出てきて、多様になった印象です。

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