「平成スター」はなぜSNSで失敗する? YOSHIKIの「『ダンダダン』パクリ問題」で余計な炎上を生んでしまった理由
あゆにも通じる過剰な自意識 「平成スター」の感覚と令和SNSとの距離感のズレ
このようなナルシシズムがSNS上で浮いてしまうのは、浜崎あゆみさんにも共通する。意味深なポエムや、真剣な表情のリハーサル写真の数々、開催直前の公演中止発表。華やかな見た目やパフォーマンスの陰で、批判に耐えて泥臭くもがく「悲劇のヒロイン」アピールだと、時に笑われ、時に炎上してきた。かつては平成を代表する歌姫と呼ばれた存在が、今では「かまってちゃん」と揶揄されるのは、時代の変化とSNSの暴力性を如実に示している。
YOSHIKIさんの投稿もまた、ゴージャスな世界観と世界中のファンからの称賛に満ちた「YOSHIKIワールド」全開である。これは平成のスターらしい「自分を神格化した表現」なのかもしれないが、現代のSNSではその過剰な自意識が裏目に出ることもある。
では、YOSHIKIさんはSNSから離れるべきなのだろうか? 答えは否だ。彼のような大物アーティストが自身の声を直接届けることには、大きな価値がある。そして彼の熱心なファンたちも、SNSでの投稿をリアルタイムで追いつつ、今回の騒動についても冷静な距離感で楽しんでいるようである。X JAPANをモデルにしたと思われるパロディー騒動はかつて「おそ松さん」でもあり、それだけ人気があることの証しだと好意的に受け止めているファンや、「HAYASii」は人名ではなく「お囃子」が由来だからと誤解を解こうと試みたファンもいる。そしてYOSHIKIさん自身もファンたちの反応に感謝を示しつつ、投稿をリポストしたり、交流を楽しんでいるのが分かる。
YOSHIKIさんは今も世界で通用するアーティストであり、その音楽的価値は普遍だ。しかし、SNSの世界は音楽とは異なる「戦場」である。正論すら炎上の引き金になる中で、発言の力ではなく「空気を読む力」が試される。YOSHIKIさんも周囲の助言を受けながら、発信の方法をアップデートしていく必要はあるのだろう。
ただ一方で、有名人たちが炎上を恐れてお利口になった今、あゆやYOSHIKIさんのような「過剰な自意識」を漏れさせ続ける存在は貴重である。「カレーが辛いからリハーサルをキャンセルして帰った」などの逸話もあり、あらゆることに敏感で繊細なYOSHIKIさんの一面は、かえって人間味も感じさせる。悲愴な投稿でお騒がせするのはもはやYOSHIKIさんの「様式美」だと、静観しているファンも少なくない。
セールスの実績でも、豪華な暮らしぶりでもなく、地雷を踏むことを恐れない姿勢。首の痛みに耐え、紅に染まる炎上の中でも過剰な自意識と美意識を失わないYOSHIKIさんに、令和のSNS時代に耐え得る平成スタ―の底力を見たのは、きっと私だけではないに違いない。











