「Mステ」生出演の前田敦子がアイドルオーラ健在だった理由 AKB48卒業から10年以上

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表現力さらに高まる

 グループ卒業直後には、まだ「元AKBの前田敦子」という看板がつきまとっていて、正当に評価されていないところもあった。ただ、さまざまな役柄を演じて経験を積み重ねたことで、徐々に演技派としての地位を築いていった。山下敦弘など個性の強い映画監督との仕事が続き、いわゆる王道のヒロイン像ではなく、ひねくれた役や屈折した人物を多く演じてきた。むしろそうした役柄にこそ、彼女特有のリアリティが宿った。演技を作り込むよりも、そこにいるだけで放たれる気配がキャラクターと重なり合う。そのアンバランスさや危うさが、女優としての魅力になっていった。

 近年は母となり、生活者としての視点も持ち始めたことで、演技にもより深みが加わったと言われている。デビュー当時のとがった印象や素朴な危うさに加え、経験に裏打ちされた落ち着きが役柄に表れるようになった。前田の女優としてのキャリアは必ずしも華やかなものではなかったが、紆余曲折を経ながら独自の居場所を見つけた。

 アイドルを経て女優へという道は多くの人が挑戦してきたが、前田敦子はその中で、最も自分の色を残した形で生き残っている存在だと言える。そのプロセスは、彼女がもともと持っていた特別感を別の形に変換していく過程である。女優業を経て、アイドルとしてのパフォーマンスにも今まで以上の説得力が宿るようになった。

 前田敦子のアイドルオーラが健在だったのは、本人のもともとの資質に加えて、女優業の経験を経て、表現力がさらに高まったからだ。AKB48卒業からこれだけ長い年月が経っても、その輝きは失われることはなく、むしろ強度を増していた。今回の「ミュージックステーション」での活躍ぶりは、彼女が単なる過去のアイドルではなく、今もなお「永遠のセンター」として生き続けていることを証明したと言えるだろう。

ラリー遠田(らりー・とおだ)
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)など著書多数。

デイリー新潮編集部

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