福山雅治が守り続けた「下ネタ好きの明るいあんちゃん」キャラに見え隠れする葛藤 “男ウケ”を狙ったキャラは時代遅れに
「盛り上げるための下ネタ」は、若い女性へのサービスではなく男社会を渡るための処世術?
今回のフジテレビの会合での不適切な発言も、同様の構造として見ることができる。福山さんの下ネタ発言は、その場にいた女性社員への「サービス」だった、と受け取られがちだが、本質はそうではなかったように感じられるのだ。
福山さんを招いたのは、彼の出世作である「ひとつ屋根の下」を手がけた大多亮氏。いわば大恩人だ。福山さんも取材に対し、女性社員の同席を望んだわけではなく、「大多さんとの男同士のサシ飲みで十分楽しかった」と持ち上げている。他にも「ガリレオ」シリーズなど、フジテレビのドラマ部と福山さんの絆は強い。だからこそその場に同席した「男社会の仲間たち」に対し、「きょうも下ネタで軽快に飛ばす福山節を見せますよ」という、かつての成功体験に基づいた「おもてなし」をしたつもりだったのではないか。
それは、単に場を盛り上げるためというよりは、「イケメン」という自分の容姿に起因する嫉妬や反発をかわし、男社会の中で円滑に立ち振る舞うための過剰適応でもあっただろう。福山さんは長年にわたる経験から、男性の支持なしには突き抜けた人気を得られないことを知っていた。そのために、「イケメンなのに下ネタ好き」「イケメンなのに自虐ができる」というキャラクターを過剰にアピールし、男社会での居場所を確立しようと努力してきたのではないだろうか。
しかし、その過剰適応は、時代とともにその意味を失い、今回の問題へとつながってしまった。彼がインタビューの中で「受け取る側が不快に思われることがあるということを、繊細に感じ取るべきだった」「改善していかなければいけないことだと受け止めました」と語っているのは、まさにこの過剰適応が通用しなくなったことへの痛切な気付きだろう。たとえ女性がいなかったとしても、下ネタが場を盛り上げる手段と信じられていた時代はもう過去のもの。福山さん自身が謝罪したように、その価値観はアップデートされなくてはならない。
そしてこの問題は福山さん個人の問題にとどまらない。彼をそのような過剰適応へと駆り立てた、フジテレビの文化や構造的な問題もまた見過ごすことはできない。仕事の一環として会合に同席せざるを得ない若手社員たち。タレントの機嫌を損ねてはならないという無言の圧力。以前も、石橋貴明さんが女性社員の前で下半身を露出したという報道があったが、こうした男社会の慣習が今回の問題の土壌となったのは確かである。
イケメンだから得をするわけではない 「ただイケ」と向き合ってきた福山の歴史と呪縛
福山さんは「ただしイケメンに限る」という望まぬキャラ付けに、誰よりも真剣に適応し続けてきた一人なのだろう。その努力が時に過剰であったからこそ、今回の過ちが生まれたともいえる。けれども同時に彼の歩みは、「イケメンだから苦労がなかった」と片付けることのできない、人間としての葛藤の歴史でもある。
近年ではタレントたちの過重労働やメンタルヘルスに配慮する意識も高まってきている。これからの芸能界に必要なのは、タレントが無理に「愛されキャラ」を演じなくても済むような空気なのだろう。男社会での支持に頼らずとも表現者として尊重される土壌こそ、次の時代の文化を育てていくはずである。
福山雅治という人は、顔の良さで得をした人ではなく、顔の良さに最も縛られてきた人なのかもしれない。「下ネタ好きのあんちゃん」から、真の「アーティスト」として、そして一人の人間として、どのようにして新しい人間関係を築き、表現者として生きていくのか。今回の謝罪を機に、その「呪縛」から解き放たれた新しい姿を見せてくれることを期待したい。
[2/2ページ]

