日本製鉄はいかにトランプ大統領を攻略して「USスチール」買収に成功したのか 「買収という言葉は使わない」「議論や説得は無意味」

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バイデン前大統領に行政訴訟を起こした理由

櫻井 23年12月に日鉄は合併契約締結を発表しますが、翌年にアメリカ大統領選が控える中、まずUSW(全米鉄鋼労働組合)が反対を表明しましたね。

橋本 民主党の支持母体の一つは労働組合です。しかもバイデン前大統領は、党内で労組の窓口役を果たしてきた。外国企業の日鉄には非常に不利な状況でした。たとえUSスチールと合併契約は結べたとしても、それを認めてもらうには、大統領が首を縦に振らないといけない。苦戦は予想していましたが、この大統領選の時期を乗り切れば、アメリカ政府は冷静な判断を下すだろう。そう思っていました。

櫻井 バイデンさんは落選しますが、代替わり直前の今年1月3日、安全保障上の懸念を理由に買収計画への禁止令を発表します。

橋本 USスチールとの合併契約の履行期限は今年6月まで。残された時間は5カ月ちょっとしかなかった。この間にトランプさんから前政権の決定を覆す大統領令を得られれば、まだ望みがあると考えました。あらゆる専門家から「あり得ない」と指摘されましたが、私は常日頃から「1%でも可能性があるなら挑戦する」と考える。新日鉄、ひいては日本の製造業が凋落した原因は、挑戦意欲を失ったことでしたから。

櫻井 諦めなかった。

橋本 バイデン前大統領を相手取って行政訴訟を起こしました。専門家の方々から「勝ち目がない」と言われましたが、その根拠は前例がないということだけ。私共は本件を精査して勝訴の可能性が50%あると判断しました。アメリカは裁判官の権限が強く「ディスカバリー制度」が発動されると、政府に不都合なことでも判断に至る経緯を開示しないといけない。われわれの主張は、前政権の買収禁止令が違法な手続きに則って、結論ありきだったというもので、それが現政権にとっても都合が悪くなれば裁判をしたくないとなる。

櫻井 それが影響した可能性があるということですね?

橋本 はい。4月7日にトランプ大統領の再審査命令が出ました。たまたま石破総理が電話会談した日と重なったので、日本のメディアの中には“橋本さんは石破さんにお願いして、大統領に再審査を命じてもらった”と報じたところもありましたが、トランプさんはそんなにやわじゃない。

櫻井 そのとおりです。大胆な戦略の背景には、日本男児の毅然とした姿勢があった。率直に言って、トランプさんは非常にやりづらい相手でしたか。

橋本 そうでしたね。

櫻井 再審査が認められてから契約を履行する期限までの2カ月強、買収を認めてもらうため、どのような戦略を練られたのでしょう。

「買収」ではなく「パートナーシップの実現」と言い換え

橋本 私は、トランプさんの著書や彼を題材にした映画などすべてに目を通しました。そこで導かれた結論は、トランプさんと価値観を巡って争っても意味がないということです。彼の価値観は、力強いアメリカの製造業を復活させたい、輝いていた時代を取り戻したいということ。これに対して「関税だけで製造業は復活しませんよ。保護主義の下で衰退した歴史があるでしょう」などと説得しても意味がない。私は学者ではありません。交渉が決まるまでトランプさんが嫌がる「買収」とか「100%子会社化」といった言葉は使いませんでした。彼が5月30日(日本時間31日)、ピッツバーグにあるUSスチールの工場で大勢の労働者を前に「パートナーシップの実現だ」と仰いましたよね。あれも実は私共から伝えた言葉なのです。

櫻井 そうでしたか。

橋本 トランプさんは、アメリカを支えてきたUSスチールを自らの手で再生させたい。それが高い関税で実現できるはずだと選挙では訴えてきた。確かにアメリカが世界の工業の中心だった時代は30%前後の高関税でした。そうした価値観を尊重しつつ、こちらとしては「投資も必要」という部分は譲れない。大統領の側近から「トランプの嫌いな言葉を使っちゃダメ」と聞かされていたので、われわれは「買収ではなくパートナーシップの実現と言います」と提案したら「それはいい」となったのです。

櫻井 USスチールの工場が立つ地元の人たちへの根回しも行っていたそうですね。

橋本 当社の森高弘(もりたかひろ)・副会長は、現地で1000人以上の関係者に会いました。買収に反対だった地元政治家や共和党と民主党双方の議員たちから、地域社会の人々も含め、みんなワンボイスに地元の声として「投資は必要」と言ってもらえた。トランプさんも政治家ですから、地元の声は無視できなかったと思います。

櫻井 5月末、多忙な合間を縫ってトランプさんがUSスチールの工場で演説して拍手喝采を浴びたのは、そういう事情があったのですね。

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