「ケーキひとつ選ばせてもらったことがない」 実母の支配下で育った「ひきこもり男性」 57歳でようやく解きかけた「ママの呪い」【毒母に人生を破壊された息子たち】

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父親の一言

 専門学校にも、山奥の家具職人塾にもトライするが、打ちひしがれて傷を深くするばかり。何もしないで家で過ごす日々の中、父親が話しかけてきた。

「おまえ、無理せんでもいいぞ。わしはたまたま大学の後、今の会社が引き取ってくれたから、こうして生き抜いてきたけど、それがなかったら、おまえと一緒の人生だったかもしれんなー」

 無口で、ただ自分を怒鳴りつけるばかりの存在だった父が見せた、突然の変化だった。ある日、山本さんの個室の襖に、父親が新聞記事を差し込んだ。ひきこもりの治療を行う、精神科クリニックの記事だった。

 ここから、山本さんは治療機関に繋がった。診断名は、「複雑性PTSD」。29歳でクリニックのソーシャルワーカーの「何よりもまず、親元を離れ、違う文化や空間で生活することが大事」という指導の下、生活保護を取り、アパートで暮らし始めた。

コミュニケーションが成立しない

「主治医からは、コミュニケーションが成立しないと言われました。確かに、そうだと思います。集団療法に通い、治療を続けましたが、今は主治医からは離れています。10年前、集団療法の場で、“山本くんを見てごらんなさい。こんなに無能なのに、生きているんだよ。みんな、自信が持てるよね”って言われました。あの時、僕は鈍感だったけど、最近ようやく、あの場で怒れなかった自分に気がついたんです」

 当初は一人暮らしをしても母親からの電話は何を優先してでも取り、週末は具合が悪くなるのがわかっても必ず、実家に帰っていた。しかし今は、違う。母親との連絡は最小限に、実家へは日帰りと決めている。

「どこかのタイミングで、母親優先の思考を自分が追い抜いたというか。全く奪われていた主体が、芽生え出したと思うんです。母親の承認を求めるよりも、自分だと。50年以上かけて、ママの呪いを解いているのだと」

 この一年で、これまでは気を留めることまで忘れていた自然が目に入るようになってきた。今は公園で木々を眺め、ぼーっとしている時間に何より癒される。それは山本さんだけの、誰のためでもない時間だ。もちろん、まだまだ途上だ。でもようやく、ここまで来たのだ。

 ただのびのびと、ありのままに育つことを許されなかった子の、何と壮絶な人生だろう。親が恣意的に子どもの首を真綿で締めることの容易さと、水面下における虐待の悪虐さを改めて思わずにはいられない。

【前編】では、専業主婦だった母親に、幼い時から常に内面まで監視、支配を受けてきた山本さんの苦しみについて記している。

黒川祥子(くろかわ・しょうこ)
ノンフィクション・ライター。福島県生まれ。東京女子大学卒業後、専門紙記者、タウン誌記者を経て独立。家族や子ども、教育を主たるテーマに取材を続ける。著書『誕生日を知らない女の子』で開高健ノンフィクション賞を受賞。他に『PTA不要論』『8050問題 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』『シングルマザー、その後』など。最新刊に『母と娘。それでも生きることにした』。雑誌記事も多数。

デイリー新潮編集部

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