「あの方も宇宙人だったのでしょうね」…電撃ネットワーク「南部虎弾」、「坂本冬美」が賛辞を惜しまない「ロックのカリスマ」強烈な魅力

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清志郎と貴重な写真をとった人

 そんなこともあって、取材中に清志郎の名前が出てくると、つい前のめりになった。「秘蔵写真」というテーマで清志郎のことを聞くことができた一人は、電撃ネットワークのリーダー、南部虎弾(24年没、享年72)。

 清志郎はカリスマだが、南部も世界的なパフォーマーであり、まさに異色の存在である。その南部をしても清志郎はスペシャルな存在だったようだ。

 初対面は反原発を真正面から取り上げて問題になったRCサクセションのアルバム「COVERS」が発売中止(のちに別レーベルで発売)になり、清志郎がバリバリに尖っていた頃。それからだいぶ後になって、ロックフェスなどで何度か共演し、自転車が好きで自転車旅を日記につけていた清志郎と、自転車雑誌で対談することになった。南部の実家は自転車店でもある。

 しかし、南部は「本物のロックンローラーを前にして、舞い上がってしまった」という。それ故か、どんな話をしたのかを訊いてもあまり記憶がないようだった。掲載した写真はその時のツーショット。柔らかく微笑んでいる清志郎に対し、南部はやや青ざめ気味だ。

 南部は声が清志郎に似ていると言われたこともあったし、ファッションも清志郎っぽいと言われたこともあった。インタビューの最後を「きっとあの方も宇宙人だったのでしょうね」と締めた。

 もう一人は坂本冬美。「秘蔵写真」は清志郎と細野晴臣とのスリーショット。坂本はレコード会社が清志郎と一緒だった。坂本のデビュー曲は「あばれ太鼓」。それをレコード会社のロビーで歌うイベントがあったのだが、社内で取材を受けていた清志郎が聴き、「あんな状況でよく歌えるなあ」と感心する一方で、一瞬で坂本の才能を見抜いたようだ。

 清志郎はその後、インタビューを受けるたびに「今、興味があるのは坂本冬美」と名指ししたという。

 88年、坂本は「Secret Agent Man」のコーラスに参加し、90年には東京と大阪で行われたライブイベント「ロックの生まれた日」に「SMI」として参加することになった。

「SMI」は坂本、RCのサポートメンバーの三宅伸治、清志郎の頭文字を取ったもの。これを発展させたものが「HIS」で、Hは細野晴臣、それと清志郎、坂本だ。

 このユニットでは先にシングル「夜空の誓い」が先行発売され、その後、アルバム「日本の人」が発売された。清志郎と細野は詰め襟の学生服、坂本はセーラー服を着てレコーディングが行われたが、清志郎とは会話らしい会話はなかった。

 06年に大阪城ホールで行われた「ナニワ・サリバン・ショー」でも共演したが、岩手・花巻温泉でショーがあったため、遅れて行った坂本との会話は一言二言のみ。花巻温泉でツーステージをこなしてからかけつけたと話をすると、「凄いね」と反応した程度だったとか。

「本当にシャイな方」

 両人とも、ロックのカリスマから「あの一言」を聞くことができず仕舞いだったようだ。

 坂本は「本当にシャイな方だった」と語った。その代わり、溢れんばかりのロック魂を、普段の態度やパフォーマンスで目の当たりにしたという。

 南部は「背丈は普通なのに、ステージではあんなに大きく見えて舞台映えするんだな」と感心し、坂本は「ひとたびステージに上がるとパワー全開になる」と驚嘆した。

 忌野清志郎のその強烈な魅力とともに、今のところ、CD-Rの謎は解明されないままである。

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