【特別読物】「救うこと、救われること」(9) 吉本ばななさん

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 吉本ばななさんは、1987年に『キッチン』で鮮烈なデビューをしました。作家としての目覚めは早く、5歳から物語を書いてきました。一作書き終えてはまた書くのです。最初は自分のためだったのですが、あるときから人のためにと変わってきたといいます。

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 5歳の頃から作家になろうと思っていました。7歳上の姉(漫画家でエッセイストのハルノ宵子さん)は絵がうまくて、幼い私から見ても才能を感じました。絵では姉にかなわないから、じゃ、私は文章かな、と。家に父(詩人で思想家の故・吉本隆明氏)の本が沢山あって、そう思い込んだのかもしれません。

 いまでいう発達障害だったと思います。小学校どころか幼稚園も地獄でした。何も面白くないし、意味がわからない。何で決まった時間に起きなきゃいけないのかって。会社員にはなれないと思いましたね。朝6時に起きて電車に乗って同じところに毎日通うなんて、絶対無理ということは子供心にも実感できました。

授業を聞きながら本を読む

 それでも学校教育に関して親は厳しかったですよ。学校は行かなくてはいけないものだと思っているし、門限もあって18時までに帰らなくてはなりませんでした。

 毎日通学していましたが、授業の時間はほぼ読書に充てていました。でなければ、睡眠か休息です。学校には身体を運べばいいって気付いたので、そこは徹底して。先生の話をうっすら聞きながら読書するという特技を身につけたのもこの頃です。

 逆に放課後は18時までやりたい放題やりました。買い食いしたり、神保町に行って古書店や大型書店で過ごしたり、バスや電車に乗ったりして時間を潰していました。

 結局、学校に行く意味はいまもわからないままです。なんでみんな疑問も持たずに通えるのか。我ながらよく大学まで行ったと思います。

コツコツと物語を書き続ける

 ずっと書いていたのは物語で、架空のキャラクターを設定していたことは覚えています。物語をノートに下書きして、親の部屋からもらってきた原稿用紙に清書するんです。一冊書いたらまた次のノートに書いていく。何年か経ったらノートはバリバリッと破いて捨てていました。

 よく言われることですが、頭の中のドラえもんは完璧なのに、実際に描くとその通りに描けないですよね。頭の中のものと文章のギャップもそれとよく似ていて、頭の中にアイデアがあっても文章で表現できなければアイデアですらないんです。書いたとしても、人に読ませるレベルに達していなければ小説家とはいえないんじゃないかとも思っていました。

 小学校のときも中学校のときも何人かの読者はいて、その反応は気にしていました。身近な二人がいいと言わなかったらみんながいいと思うはずないって思ってましたから。

 友達の作文を10人分書いたこともあります。キャラを変えてその人が書きそうな作文を捻出していくんです。その作文を友達が清書して提出したら、「なんか君の作文はいいね」と先生に褒められたりして。楽しかったし、鍛えられましたね。でも、結局、本人が書くものを超えられないこともわかりました。本人に勝るものはないという謙虚さも身についた気がします。

 他の仕事をしながらでも書き続けていこうと思ったことはありません。他に出来そうなことがないから、真剣に小説家になるにはどうしたらいいかを考えました。まず完結させること、人が読んで理解できること、そこに絞り込んで練習していったのがよかったのかな。

本に救われた想いが届いてくれたら

 思春期の頃は自分の苦しみから逃れたいと思って書いていましたが、途中から人のために書いていると感じるようになりました。ここからいなくなってしまいたいと思っている人の生きる時間を10分くらいなら延ばせるんじゃないか、と。運のいい人だとそこに親から電話がかかってきたり、友達が訪ねてきたり、何か生きるチャンスを摑むことがあるかもしれない。私の文章がその10分間になればと思うのです。

 小説以外の仕事をするのは、絶対に本を読まない人が、たまたま私の文章を目にとめて、一瞬だけでもいいなと思うかもしれない可能性を捨てられないからです。私自身、授業中に読んだものも含めて本に救われてきたから、同じ様にそれが誰かに届いてくれたらと思うのです。不特定多数の目にとまるいろんな媒体に書いてきたのはそのためです。

 人生は苦しく厳しいものです。人は死ぬものですし、事故や天災もあります。肉体があって苦しみから逃れられないから、きついんですよね。でもそのきつさを、本を読むとか映画を観るとかおいしい食事をするとかいい景色を観るとかのことに分け持ってもらって、辛うじて生きていくのが人生だと思うのです。その時々に自分を助けてくれるものがあるのが醍醐味、またそれが移り変わっていくことも醍醐味だと。たとえば映画『天井桟敷の人々』が好きで、観れば救われていたという人が、それに飽きる日が来るとする。そうしたら次は何だろうって探しますよね。救われるものが変化していく。成長か進化か、ひょっとしたら退化かもしれないけれど、変化していくそのことの中に人生の希望や面白味もあるんじゃないかと思うんです。

■提供:真如苑

吉本ばなな
1964年、東京生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。87年『キッチン』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。88年『ムーンライト・シャドウ』で泉鏡花文学賞、89年『TUGUMI』で山本周五郎賞、95年『アムリタ』で紫式部文学賞、2000年『不倫と南米』でドゥマゴ文学賞、22年『ミトンとふびん』で谷崎潤一郎賞を受賞。著作は30カ国以上で翻訳され、海外での受賞も多数。近著に『ヨシモトオノ』など。

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