満州で行方不明の妻が7年後に生還、後妻と軋轢が…「戦死」「行方不明」のはずが生きていた人たちの戦後秘話 #戦争の記憶

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「戦死公報」が出たあとに生還

 出征した旧日本軍兵士たちの「戦死」あるいは「生死不明」は、「戦死公報」という通達によって家族に伝えられた。だが、激戦地や混乱が大きかった地域では正確な状況把握が難しく、公報が出されたあとに無事生還したという例がある。

 その数は「1000人を下るまい」と報じたのは、終戦から25年、1970年8月の「週刊新潮」だった。厚生省援護局(現在の厚生労働省社会・援護局)の統計による数字である。東京五輪の6年後、大阪万博開催中の当時は高度経済成長期の終盤。巷は活気づき、戦争の記憶が少しずつ薄れ始めた時期だった。...

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