「アメリカの兵隊さん、こんにちは」…対米謀略ラジオで米兵に人気だった「東京ローズ」 唯一特定された日系二世女性の“数奇な人生“【週刊新潮が伝えた戦争】 #戦争の記憶

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米国で「国家反逆罪」に問われ

 日本で終戦を迎えたアイバさんは1年ほど巣鴨プリズンに入れられた。この時は容疑不十分で釈放されたが、1948年にふたたび逮捕。米国に護送された彼女を待っていたのは「国家反逆罪」容疑の裁判である。翌年に禁固10年、市民権剥奪、罰金1万ドルの刑を言い渡されたが、人種差別が背後にあることは明白だった。

 アイバさんは6年2か月後の1956年に模範囚として出所。市民権が剥奪されたままだったことから、日系人団体や米兵、米国人記者らが支援に立ち上がった。努力が実り、フォード大統領の特赦で市民権を回復したのは1977年1月のこと。この時60歳。

 シカゴの日系人会のテッド・ウチモト氏は1989年、当時の「週刊新潮」に対しアイバさんの近況を明かしている。

〈「今はアイバさんのお父さんが経営していた美術品店をウィリアム・トグリという甥と一緒にやっています。それに亡くなったトグリさんのお兄さんの奥さんも手伝ってるようです。アイバさんの家族は苦労させられていると思います。反逆罪で有罪とならないために上の裁判所へもって行き、有罪のあとは特赦してもらうための費用などはずいぶん大変だったと思います。

 これには日系二世の人でつくっている団体からのお金の援助がありました。むろん、個人的にもお金がかかっていると思います。シカゴはカリフォルニアと違って、戦後、日系人に対してどうこういわなかった土地なんです。ですから、こちらではアイバさんのことは仕方ないと見ています」〉(「週刊新潮」1989年1月26日「対米謀略放送『東京ローズ』の特赦以後」より)

東京ローズ、あれは幻だったのでは

 アイバさんは日本で結婚していた。1945年4月に上智大教会で式を挙げたが、第一子は出産直後に死去。1948年の逮捕と米国への護送で夫婦関係は破綻した。夫のフィリップ・ダキノ氏は1989年当時、68歳で日本の英字新聞社に嘱託として勤務していた。

「私とアイバとはもう関係ないですから……。籍もアイバが特赦を受けたあとに彼女が向こうで手続して離婚しました。私がアイバと最後に会ったのは1949年の12月。それ以後はあっていないんです。夫婦といっても、2人で暮らしたのは3年足らず、短いものです。その後、電話で話したりしています。

 東京ローズ……あれは幻だったんじゃないでしょうか。今日でもよくわからない。東京ローズが何人いたのか、はっきりした証拠をつかんでいる人はいない」(「週刊新潮」1989年1月26日「対米謀略放送『東京ローズ』の特赦以後」より)

 2006年9月26日、アイバさんは老衰のため死去。享年90。世界から届く取材依頼に応じることはほぼ皆無だった。

デイリー新潮編集部

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