母の名を呼び、「死ね!」と叫んだ…虐待のトラウマに苦しむ60代「ひきこもり」男性がいま、心の底から願うこと【毒母に人生を破壊された息子たち】
二度と家族に近寄るな
次に一縷の望みを託したのが、「家族療法」だった。1999年5月、池井多さん、37歳の時だった。
「今の自分の状況は家族に起因するもので、家族会議を開いて、家族の歴史を整理したい。家族が協力してくれれば、家族とのコミュニケーションも回復して、普通に働けるようになるかもしれないし、経済的にも生活が安定するだろうと、かなりいけると思って、実家に行きました」
しかし、待っていたのは……。
「お母さん、小さい頃、僕が夕ごはんのスパゲティを食べなかった時に投げ捨てたよね? お父さんに、ベルトで僕を叩かせたよね?」
池井多さんは一つ、一つ、家族の過去を確認しようと話し始めた。
「お前が言ったようなことはいっさいこの家族では起こってない」
母親が平然と断言すると、母を恐れる父や弟もそれに追従した。
「まさか、母親がそんな手を打ってくるとは思ってもいなくて。父親も8歳下の弟も母親に同意して、それで終わり。家に戻って2、3日後、弟から、“二度と家族に近寄るなって、お母さんが言っている”と電話がかかってきました “スパゲティの惨劇”と一緒、自分の手は汚さないんです」
実家から放逐されたことで援助という望みも途絶え、ホームレスになるしか術はないと思った。だが、通っていた精神科のケースワーカーから、生活保護を受けてアパートを借り、治療を続ける道を提示され、以降、生活保護という下支えのもと、今に至るまでそうやって生きている。
役割を下りて、鎧を外して
池井多さんは今、母親をこう見ている。
「“私を、誰だと思ってんの!”と、近所のお母さんたちを見下していましたね。学歴もないくせにと。絶対に、人より優位でありたい人でした。知的水準は高かったかもしれないけれど、境界性パーソナリティ障害だったのではないでしょうか。心の年齢は非常に幼い人だと思いますね」
池井多さんは今、中高年ひきこもり当事者の会「ひ老会」だけでなく、ひきこもりに関する幅広い活動を行い、講演に呼ばれることも多い。
「ひきこもりの子を持つ親たちに話をする機会がありますが、“お父さん、お母さんの役割を下りて、鎧を外してください。人間と人間として、同じ地平に立って、腹を割ってお子さんと話してください”って言いますね」
腹を割って――、それこそ、池井多さんが、心の底から家族に願ったものだった。「その日」から26年、池井多さんは家族の誰とも会ってはいない。90代になった母親が、存命かどうかも不明だ。
【前編】では、塾経営者の母親に一橋大学に進学することを強いられ、幼い時から夜中まで勉強漬け、精神的、身体的虐待を受け続けた池井多さんの独白を記している。
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