夏の甲子園 高校野球のルールを2つも変えた「二度と見られない伝説の死闘」

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いい加減にしろよ

 打線の援護を得た松坂もモチベーションを上げ、回を追うごとに球威が増した。PLも7回から先発・稲田学をリリーフしたエース・上重聡が打たれながらも要所を締め、松坂とほぼ互角に投げ合う。

 その後は両チーム1点ずつを取り合い、5対5で延長戦に突入。11回に横浜が柴武志のタイムリーで6対5と初めてリードを奪うと、PLもその裏、2死から大西のタイムリーでしぶとく追いつく。

 さらに16回、横浜は1死満塁から加藤重之の遊ゴロの間に1点を勝ち越すが、PLも田中一のこの日4本目の安打を足場に、暴投、犠打などで7対7と試合を振り出しに戻した。

 延長戦に入ってから2度のリードをいずれも追いつかれ、さすがの松坂もPLの驚異的なしぶとさに「いい加減にしろよ」と根負けしそうになった。

 そして17回表、横浜は松坂、小山の中軸が倒れ、たちまち2死。当時の大会規定で延長18回引き分け再試合の予感も漂いはじめるなか、ひとつのエラーが明暗を大きく分ける。

伝説の名勝負

 柴の遊ゴロをPLのショート・本橋伸一郎が一塁に悪送球。名手の思わぬミスに、横浜・渡辺元智監督は「ひょっとしたら……(何かが起こる)」と直感したという。

 その予感は的中する。2死一塁から「松坂が本当に苦しそうだったから、どうしても1本打ちたかった」という途中出場の7番・常盤良太が上重の初球、直球が真ん中高めに入ってくるところを見逃さず、右中間に値千金の決勝2ラン。三塁ベンチ前で投球練習をしていた松坂は、感激のあまり、思わずユニホームの袖で溢れる涙を拭った。

 その裏、松坂がPLの最後の攻撃を3者凡退に切って取り、9対7でゲームセット。延長17回250球を投げ抜いた松坂は「明日(準決勝)は投げられないくらい疲れた。今は何も考えられない」と憔悴した様子で語った。

 そして、この球史に残る死闘は、結果的に高校野球のルールを2つも変えた。

 この試合でPLの三塁コーチが打者に球種を伝えていると思われる行為があったことを受け、同年12月に開かれた日本高野連理事会で、二塁ベース上の走者や三塁コーチが球種などを伝える行為が禁止された。

 また、延長17回、3時間37分に及んだ試合も、選手の健康管理上、問題視され、翌年のセンバツから延長15回制に短縮されることになった。その後、2006年夏の決勝戦、早稲田実対駒大苫小牧の延長15回引き分け再試合などを経て、2018年のセンバツから延長タイブレーク制が導入されたのは、ご存じのとおりだ。

 あれから27年、今大会で松坂世代以来2度目の春夏連覇に挑戦する横浜に対し、PLは2016年夏を最後に野球部が休部となり、学園自体の存続も危ぶまれている。甲子園で両校のライバル対決をもう2度と見ることができないかもしれないという意味でも、永遠に語り継がれる伝説の名勝負と言えるだろう。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘!激突!東都大学野球』(ビジネス社)。

デイリー新潮編集部

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