夏の甲子園 高校野球のルールを2つも変えた「二度と見られない伝説の死闘」

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 投球制限、タイブレーク、DH制などに加え、7イニング制も検討されるなど、毎年のように新ルールが導入されている高校野球だが、1998年夏の準々決勝、横浜対PL学園の延長17回の死闘は、高校野球のルールを2つも変えた試合として長く記憶されている。【久保田龍雄/ライター】

事実上の決勝戦

 同年、“平成の怪物”松坂大輔(元西武など)をはじめ、超高校級の選手を多く揃え、春のセンバツを制した横浜は、史上5校目の春夏連覇をかけて甲子園に乗り込んできた。

 この“東の横綱”に対し、“西の横綱”と並び称された最大のライバルがPL学園だった。両校はセンバツでも準決勝で対戦し、横浜が3対2と逆転勝ちしていた。夏に雪辱を誓ったPLは初戦から順当に勝ち上がり、準々決勝で横浜と激突。春同様、“事実上の決勝戦”となった。

 初戦から3試合で失点わずか1と安定した投球を続けていた松坂だったが、この日は立ち上がりから本来の球威に欠け、早々とPL打線につかまってしまう。

 2回、先頭の大西宏明(元近鉄など)に股間を抜く痛烈な中前安打を許すと、犠打野選でピンチを広げ、犠飛で1点を献上。さらに9番・松丸文政に直球を狙いすましたように中越えに運ばれ、2点目を与えたあと、1番・田中一徳(元横浜)にも中前タイムリーを浴び、3点をリードされた。

「キャッチャーのサインがわかっているみたいだ」。異変に気づいた横浜ベンチは、PLの三塁コーチ・平石洋介主将(元楽天)が1球ごとに「行け、行け!」「狙え、狙え!」と叫ぶ姿に目を留めた。「行け!」は直球、「狙え!」は変化球を指示しているようで、「10球に7球くらい」は当たっていた。初めは松坂の投球フォームの癖から球種を読んでいるのでは、と思われたが、その後、捕手・小山良男(元中日)が直球のときに低く構え、変化球のときに腰を浮かせ気味にする姿勢から球種が読まれていると判断した。

 この球種伝達法は、大会後にテレビのドキュメント番組で紹介され、「高校生がこれほどまでに高度な野球をやっているのか」と大きな反響を呼んだが、平石自身は「心外な報道で困惑している。相手が混乱してくれたらいいかな程度の作戦だった」と説明している。

 だが、横浜も春の王者の意地を見せる。4回に小山の左越え2ランで1点差に追い上げると、再び2点差となった5回にも松本勉の2点タイムリー三塁打で4対4の同点とした。

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