「セイ!ヤング」で深夜ラジオを席巻した「吉田照美」伝説 NHKニュースで放送された“東大ニセ胴上げ事件”の真相 「裏番組がタモリさんだったので……」
ネットやSNSを活用するのが当たり前となった「昭和100年」の今年、各メディアで様々な回顧や特集が組まれているが、「ラジオ」「深夜放送」というキーワードで「吉田照美のてるてるワイド」(文化放送)を思い浮かべる50代超の人は多いはずだ。ニッポン放送、TBSラジオという“2強”に闘いを挑み、勝利を収めた吉田照美さん(74)はその後、昼帯でも絶対王者を打ち負かす。現在も第一線で活躍する吉田さんに、昭和から平成にかけてアツく激しく展開されたラジオ業界の聴取率戦争の裏側を聞いた(全2回の第1回)。
【貴重写真】吉田照美さんが人前でしゃべることが苦手だったころの初々しい写真を
3年たってモノにならなかったら異動
「今もラジオで仕事をさせて頂いていますので、数字(聴取率)はチェックするようにしています。ただ昔と比べると緩やかになったというか……ボクが文化放送に入社した頃とは違いますね。当時はとにかく数字。各局が激しい競争で、“負けたら終わり”という空気が充満していました」
吉田さんが文化放送にアナウンサーとして入社したのは1974(昭和49)年4月。当時は深夜放送の全盛期で、ニッポン放送が「オールナイトニッポン(ANN)」、TBSラジオが「パックインミュージック」、そして文化放送が「セイ!ヤング」を放送していた。
「その頃の文化放送のステーションイメージは、よくいえば正統派だけど、強烈な個性を打ち出すことはなく、どちらかというと地味な感じ。変に気負わず、おとなしい感じでした。とにかく派手なニッポン放送、都会的でおしゃれな感じに溢れたTBS……その間に埋まっているのが文化放送でした。聴取率では勢いそのままに、ニッポン放送が制覇している状態で、ANNをはじめ、とにかく派手な番組が多かったですね。どの時間帯でも、“打倒・ニッポン放送”でしたよ」
若者に人気のパーソナリティーを揃える「ANN」、永六輔氏など重鎮が控えるTBS、そして文化放送では「谷村新司のセイ!ヤング」の人気コーナー「天才・秀才・バカ」が書籍化され、ベストセラーになっていた。
「実際に入社して感じたのは“多分、アナウンス部に長くはいられないだろうな”ということ。7期上にみのもんたさんがいて、そのみのさんの同期でボクの入社と入れ替わりでフリーになった落合恵子さん、大先輩には既にフリーになられていた土居まさるさん……錚々たる方々ばかりでした。アナウンス部の上司からは『3年たってモノにならなかったら他部署へ行ってもらうぞ』と言われ、気ばかりが焦っていました。でも、ボクはスポーツもニュースもできません。それでも、相撲が好きだったので『大相撲熱戦十番』という番組で支度部屋レポートを担当したんです。取り組みを実況することはできないけど、お相撲さんの取り組みまでの様子を面白おかしくレポートしようと」
右も左も分からない当時の吉田さんに、色々とアドバイスをくれた先輩アナが、現在はFM NACK5をメインに活躍する大野勢太郎さんだった。
「大野さんは本当に恩人です。力士に食い込むにはどうすればいいのか、どんな情報をリスナーは求めているのか……朝稽古に顔を出して顔と名前を覚えてもらい、常にネタを考える。本当にいい経験をさせてもらいました。でも入社してから3年はあっという間に過ぎてしまいましたね。そして、夕方のワイド番組で日替わりでラジオカーに乗って街に繰り出し、バカなことを中継する仕事をしていた入社4年目、自分が一番やりたかった深夜放送の仕事が舞い込むんです」
それは「セイ!ヤング」MCへの抜てきだった。
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