グアム密林に16年「元残留日本兵」2人が帰還後「会社の同僚」に それでも「ほとんど口をきかなかった」理由とは【週刊新潮が伝えた戦争】 #戦争の記憶
帰還から26年後、65歳を迎えた2人の肉声
戦後の日本で大きく報じられた戦争関連のニュースといえば、敗戦や米軍の宣伝放送を信じず、戦地に留まっていた残留日本兵たちの帰還である。なかでも、ルバング島(フィリピン)の小野田寛郎さんとグアム島(米国領)の横井庄一さんはよく知られた名前だが、彼らより早く帰還した残留兵もいた。
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皆川文蔵さんと伊藤正さんは1944(昭和19)年7月からグアムのジャングルに隠れ住み、1960(昭和35)年に帰還した。三國連太郎さん主演の映画「生き抜いた十六年 最後の日本兵」(1960年)でモデルになった2人である。
後年、NHK BShiシリーズ「証言記録 兵士たちの戦争」に出演した皆川さんは、グアムで一時期、横井庄一さんとも暮らしていたことを明かしていた。当初は伊藤さんともう1人、新潟出身の兵士と行動をともにしていたが、意見が微妙に合わなかったという。
帰還後、おなじ職場に勤めた皆川さんと伊藤さんだが、意外にもほとんど口をきかない関係だった。それでも金と贅沢に興味がなく、質素で堅実な生活を守り抜く部分は共通している。帰還から26年後、ともに65歳を迎えた2人が「週刊新潮」に明かしていた心情とは。
(以下、「週刊新潮」1986年3月6日号「グアム島帰還兵二人の定年後」を再編集しました。文中の役職、年数等は掲載当時のものです)
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帰還後はそろって東映撮影所の守衛に
グアム島のジャングルで泥水をすすり、草を噛んで16年間生き延びた日本兵2人が発見されたのは昭和35年――。皆川文蔵さんと伊藤正さんである。
実姉と再会した皆川さんは、「人生をむだにした」と言って泣いた。アメリカ軍機で立川に着いた伊藤さんは「アメリカ人は歩き回っているし、きれいな服を着て髪を染めている人はいるし、日本は複雑な国になったものだなあ」と驚かされたという。
今浦島の2人は、遅れた戦後生活を始めたわけだが、そろって東映撮影所の守衛として勤務した。新潟出身の皆川さんに、同郷の大川博社長(故人)が声をかけ、伊藤さんも一緒に働くことになったのだった。
定年延長で64歳まで勤め、その後も別の会社に
現在の2人は無事、撮影所を勤めあげ、定年後も働き続けるというから元気そのもの。共に65歳である。
「定年延長してもらい、64歳まで勤めました。現在は三鷹の測量会社に勤めています。電線をひいたり鉄塔を立てたりするため敷地の測量をしているのですが、今年1月も、福島の方へ行って、急な斜面や道なき道を走り回っていました。この年でそのように動き回っているのを見ると、皆さんびっくりなさるみたいですよ。まあ、私は頭もないですから体で補っていかければならないわけですし、体の動くうちは働こうと思っています」(皆川さん)
帰還の翌年、見合い結婚した皆川さんには子供が2人。16年間の人生の無駄も何のそのといった感がある。
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