夏の甲子園、スタンドからはメガホンやゴミが投げ込まれ、校歌斉唱中に「帰れコール」 爆破予告まで来た“前代未聞の大騒動”

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 スタンドから怒号とともに大量のメガホンがグラウンドに投げ込まれ、勝利校の校歌が“帰れコール”でかき消される。長い歴史を持つ甲子園大会の中でも前代未聞の大騒動になったのが、1992年の星稜・松井秀喜の5打席連続敬遠事件である。【久保田龍雄/ライター】

運命の第3試合

 同年夏、超高校級のスラッガー、“ゴジラ”松井を擁し、北国勢初の日本一を狙った星稜は、2回戦で明徳義塾と対戦した。

 49番くじを引き、2回戦の星稜戦が初戦となる明徳・馬淵史郎監督は、星稜が1回戦で長岡向陵に11対0と完勝した時点で、「高知を代表して来ている。(初戦で)負けるわけにはいかなかった」と、松井の全打席敬遠を決断した。

 その役目を担うため、先発に指名されたのは、外野が本職の背番号8・河野和洋だった。「あいつは観客(のブーイング)を気にして崩れるようなやわな男じゃない」とハートの強さを見込まれたのだ。

 河野は投手陣の中で最もコントロールが良く、1回戦の星稜のビデオを見たときにも、各打者の欠点をいち早く見破った。馬淵監督は「松井君以外の打者なら、河野で抑えきれる」と確信した。

 そして、大会7日目の8月16日、今も伝説として語り継がれる“運命の第3試合”が幕を開ける。

 1回表、星稜は2死三塁で4番・松井が打席に立った。マウンドの河野は、外角の遠いコースに4球続けて投げ、当然のように一塁に歩かせた。松井が打てば先制点が入る場面でもあり、スタンドのファンも「敬遠やむなし」というムードだった。

 松井の2打席目は、明徳に2点を先行された直後の3回1死二、三塁で回ってきた。一塁が空いており、勝負を避けるのも致し方ない状況だったが、2打席連続敬遠にスタンドから「またか」とばかりにざわめきが起きた。1死満塁から星稜は、次打者・月岩信成のスクイズで1点を返したが、その裏、明徳もタイムリーで再び2点差に突き放した。

 1対3の5回1死一塁、松井に3打席目が回ってきたが、得点圏に走者が進んでいないにもかかわらず、河野は勝負しない。「松井を全打席敬遠する」という明徳ベンチの意図に気づいたスタンドから「勝負しろ!」の野次が飛びはじめた。

 さらに2対3の7回は、2死無走者にもかかわらず、松井は勝負を避けられる。三塁側星稜スタンドから「勝負!勝負!」のコールが沸き起こったが、4打席目も歩かされた。

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