夏の甲子園、スタンドからはメガホンやゴミが投げ込まれ、校歌斉唱中に「帰れコール」 爆破予告まで来た“前代未聞の大騒動”

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あの点差であの内容だから

 そして、1点差の9回、星稜は2死無走者から「何とか松井にもう1度回してやりたい」と3番・山口哲治が左中間に執念の三塁打を放ち、一打同点の場面で松井に回ってきた。だが、5打席目も敬遠……。スタンドの怒りは頂点に達し、怒号とともにメガホンやゴミなどが次々にグラウンドに投げ込まれる。試合は中断し、ベンチを飛び出した星稜ナインが審判員とともにグラウンドに散乱したゴミを拾い集めた。

 試合再開後、松井が二盗し、2死二、三塁となったが、河野は気持ちを集中させて、最後の打者・月岩を三ゴロに打ち取り、ゲームセットとなった。

 しかし、5打席連続敬遠に怒り心頭の観衆は、勝った明徳の校歌が流れると、「帰れ!帰れ!」と一斉に罵声を浴びせ、校歌は“帰れコール”の渦の中にのみ込まれた。

 1度もバットを振ることなく敗れ去った松井は、報道陣の質問攻めに多くを語ろうとせず、「終わった瞬間は負けたという気がしませんでした。今でもそういう気にはなれません」と聞き取れないほどの小さな声で答えた。

 一方、馬淵監督は「松井君は普通の打者ではなく、ウチの投手がまともにいったら、必ず打たれたはず。5番以下で勝負したほうが確率的にいいと思ったから、私の指示で勝負を避けた。こっちも1年間勝つために一生懸命やってきた。そのためにしたことだ。大量リードなら敬遠なんてしていない。あの点差であの内容だから、ああするしかなかった」と苦しい胸中を打ち明けた。

 だが、牧野直隆日本高野連会長は「勝とうという意欲に走り過ぎるより、もっと大切なものがある」とコメントし、世間も敬遠作戦を「卑怯な戦い方」「高校生らしくない」などと批判。明徳は“ヒール役”となり、宿舎には爆破予告などの脅迫電話が次々にかかってきた。平常心で戦うことのできなくなったナインは、3回戦で広島工に0対8と一方的に敗れた。

 その後、明徳は4年間甲子園から遠ざかり、試行錯誤を続けるが、1996年から甲子園の常連に返り咲くと、紆余曲折を経て、2002年夏に悲願の全国制覇を達成した。敬遠騒動から実に10年の月日が流れていた。

松井のひたむきな姿を

 あの一件がご縁となり、明徳とよく試合をするようになった星稜・山下智茂監督が優勝の翌朝、馬淵監督にお祝いの電話をかけると、思いがけない答えが返ってきた。

「それより、山下さん、松井君から電話いただいて、感動しました。あなたからもらったのもうれしいけど、松井君からのもうれしかった」(日刊スポーツグラフ「思い出甲子園 豪打を刻んだアーティストたち」)。

 当時巨人の主砲だった松井は、優勝当日の晩にいち早く電話したようで、山下監督は「彼は、そういう気配りができるんです」と感じ入った。

 現在は申告敬遠が導入され、1球投げるごとにスタンドがざわつくシーンは見られなくなったが、全打席勝負を避けられながらも、20球すべてにタイミングを測り、少しでもチャンスがあれば打とうと最後まで集中力を切らさなかった松井のひたむきな姿を懐かしく思い出すファンも多いことだろう。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘!激突!東都大学野球』(ビジネス社)。

デイリー新潮編集部

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