夏の甲子園、ベンチ外から“伝説”を作った「ラッキーボーイ列伝」 元ヤクルトの名選手もまさかの大活躍

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新たなヒーローが生まれるか

 当初は甲子園メンバーから外れるはずだったのに、ケガをした上級生の代役としてチャンスを掴み、チームの春夏連覇に貢献したのが、PL学園時代の宮本慎也(元ヤクルト)だ。

 1987年夏の大阪大会に背番号16でベンチ入りした宮本だったが、当時の甲子園メンバーは15人。まだ2年生でもあり、本人も「外れると思っていた」という。

 ところが、大阪大会決勝の近大付戦で、内外野のいずれも守れる3年生が右手人差し指を負傷したことから、それまで1度も出場機会のなかった宮本が急きょ背番号14で甲子園メンバーに抜擢された。

 そして、甲子園でも、主砲の三塁手・深瀬猛が、準々決勝の習志野戦で右肩を脱臼。準決勝の帝京戦には痛みをこらえて出場したが、これ以上無理はできない。決勝の常総学院戦では、宮本が8番サードで先発出場することになった。

「エラーをして先輩たちに迷惑をかけたら申し訳ない」とガチガチに緊張した宮本は、試合前のシートノックで、一塁にとんでもない悪送球をしてしまう。

 だが、「今日は三塁に(打球が)飛んだら負けやぞ」という西山正志コーチの冗談めかした言葉で、「ものすごく気が楽になった」宮本は、いざ試合が始まると、5回までに6つの三ゴロを無難にさばき、1対0の2回に甲子園初打席で2点目につながる左翼線三塁打を放つなど、攻守にわたって活躍。史上4校目の春夏連覇に名脇役として貢献した。

 今大会でも直前の登録変更でメンバー入りをはたした選手の中から新たなヒーローが生まれるか、注目したい。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘!激突!東都大学野球』(ビジネス社)。

デイリー新潮編集部

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