夏の甲子園、ベンチ外から“伝説”を作った「ラッキーボーイ列伝」 元ヤクルトの名選手もまさかの大活躍
甲子園のベンチ入りメンバーは、地方大会を戦った選手たちがそのまま選ばれるパターンが多いが、出場決定後にメンバーが再考され、地方大会ではベンチ外だった選手が甲子園の晴れ舞台でヒーローになった例もある。そんな“伝説”の男たちを特集する。【久保田龍雄/ライター】
【写真】PL時代、チームの春夏連覇に貢献した元ヤクルト・宮本慎也氏の今
「何か持っていると感じてはいたが……」
夏の静岡大会ではスタンド応援組だったのに、入れ替わりでメンバーに抜擢された甲子園で“奇跡を呼ぶ男”になったのが、2007年の常葉菊川・伊藤慎吾だ。
同年のセンバツ優勝校で、春夏連覇を狙う常葉菊川は、3回戦の日南学園戦で、プロ注目の左腕・有馬翔(元ソフトバンクなど)に7回まで散発3安打に抑えられ、0対3と敗色濃厚だった。
だが、8回に二塁打と四球に足を絡め、2死二、三塁と遅まきながら反撃に転じる。このチャンスに、森下知幸監督は5番の左打者・中川雅也に代えて背番号15の右打者・伊藤を送り出した。
静岡大会ではベンチに入れなかった伊藤は「チームは優勝して良かったけど、自分が(ベンチに)いなかったのは悔しかった」と複雑な思いだったが、大会中に行われた紅白戦で本塁打を放ったことから、新チームの主力候補の2年生に経験を積ませる意味で、甲子園メンバー入りの幸運を手にした。
初戦の日大山形戦では、9回に代打で甲子園デビューを果たすと、いきなり三塁打を放ち、初安打と初打点を記録。この日の代打起用も、“持っている男”のひと振りにすべてを託した形だ。
伊藤は期待に応え、ファウルで粘ったあと、フルカウントから有馬の9球目、内角直球をフルスイング。打球は起死回生の同点3ランとなって、左翼席に飛び込んでいった。
さらに3対3の延長10回2死一、二塁で2度目の打席が回ってくると、伊藤は「(自分が)決めてやろう」と闘志を奮い立たせ、2番手・中崎雄太(元西武)から遊撃手のグラブをはじいて中前に抜けるサヨナラ打を放った。
途中出場にもかかわらず、同点3ラン、サヨナラ打とチームの全打点を挙げ、鮮やかな逆転勝利をもたらしたヒーローに、森下監督も「こんなこともあるのか。伊藤は何か持っていると感じてはいたが……」と驚くばかりだった。
同年、常葉菊川は準決勝で広陵に3対4で敗れ、連覇の夢は消えたものの、伊藤は出場4試合で11打数、7安打、6打点という驚異的な成績を残した。
みんなが支えてくれなかったら、この1本はなかった
直前のメンバー変更で出場した甲子園で、東北勢の長年の悲願だった“大旗の白河越え”に大きく貢献したのが、2022年の仙台育英・岩崎生弥だ。
2年生の6月に運動誘発性喘息を発症した岩崎は、宮城県大崎市の実家で1ヵ月ほぼ寝たきりの生活を送り、8月にチームに合流したが、3年生の6月まで本格的な練習ができず、その間、裏方としてチームを支えつづけた。
高校最後の夏、宮城大会ではベンチ外だったが、「お前は(ベンチ入りまであと1歩の)21番目の選手だ。ここで腐らないで甲子園を目指して練習してほしい」という須江航監督の言葉を励みに打力アップに努め、甲子園出場決定後、見事に背番号14を勝ち取った。
初戦の鳥取商戦で8回に代打に起用され、甲子園初打席で左前に2点タイムリーを放った岩崎は、準々決勝の愛工大名電戦では6番ファーストで先発出場。この試合でも2安打2打点を記録し、準決勝の聖光学院戦では打順も5番に。これまで野球をやりたくてもできなかった分を取り戻すかのように、出場4試合で10打数、4安打、6打点と結果を出した。
そして、決勝の下関国際戦、4対1とリードの7回1死満塁、「これが高校生活最後の打席になる」と予感した岩崎はカウント3-1から「最後は(四球ではなく)振って終わりたい」と気持ちを集中させ、見送れば四球になる高めのボール球をフルスイング。快音を発した打球は、東北勢初の栄冠を決定づけるグランドスラムとなって左翼席に飛び込んでいった。
「みんなが支えてくれなかったら、この1本はなかった」。1年にも及ぶ苦難を克服し、ベンチ外から一躍甲子園のヒーローになった苦労人は、周囲への感謝の言葉を口にした。
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