「プロ1号」の満塁弾が幻と消えた…プロ初本塁打を巡る驚くべき“珍事集”
ロッテ2年目の若手・上田希由翔が7月17日のソフトバンク戦の6回表にプロ1号2ランを放ったが、直後、降雨のため5回コールドゲームとなり、6回の得点が記録されなかったことから、記念すべきプロ1号が幻と消えた(その後、8月2日の西武戦で正真正銘のプロ1号を記録)。プロ野球選手にとって、プロ初本塁打は一生忘れられない思い出だが、中には上田のように“珍事”という思わぬオマケ付きで、長く記憶に残った例もある。【久保田龍雄/ライター】
【写真】ロッテの若手・上田希由翔が正真正銘のプロ初ホームランを放った瞬間
おめえは悪くないよ
冒頭で紹介した上田より“悲惨”と言えそうなのが、日本ハムルーキー時代の行沢久隆だ。
1976年4月29日の近鉄戦、3対12と大差をつけられた日本ハムは8回裏、小田義人、加藤俊夫が連続四球、上垣内誠も左前安打で無死満塁と反撃の狼煙を上げる。
次打者の代打・服部敏和は投ゴロに倒れたが、なおも1死満塁のチャンスで、行沢が近鉄の3番手・高木孝治から左越えにプロ3打席目の初安打となる満塁ホームランをかっ飛ばした。
打球の行方を確かめてからベースを回りはじめた行沢だったが、新人選手がプロ初安打でグランドスラムを達成するのは、1967年の巨人・槌田誠以来、NPB史上3人目の快挙(第1号は1956年の阪急・米田哲也)とあって、欣喜雀躍したのは言うまでもない。
ところが、喜び過ぎて走るピッチが上がったことから、二塁ベース手前で一塁走者・服部を追い越してしまった……。
このハプニングにより、満塁ホームランは、まさかのシングルヒットに格下げ。打点が「3」付いたことが、せめてもの慰めだった。
“暴走”が災いし、とんだミソをつけてしまった行沢は「自分の打球ばかり見ていた。スタンドに入るのを見て、全力疾走に入ったが、服部さんの姿は全然目に入らなかった。審判に『アウト!』と言われて、初めて気がついたんです。今日は帰って寝ます」とションボリ。大沢啓二監督に「おめえは悪くないよ。服部がもっと進んでいるべきだった」と慰められていた。
ちなみに、行沢が名を連ねるはずだったNPB史上3人目の珍記録は、2023年にくしくも中大の後輩にあたるヤクルトのルーキー・北村恵吾が、8月9日の広島戦で達成。これまた因縁を感じさせられる。
めでたく本塁打に
一方、プロ1号がファウルと判定された直後にビデオ判定で本塁打に覆る幸運をゲットしたのが、西武ルーキー時代の外崎修汰だ。
2015年7月25日の日本ハム戦、2対1とリードの西武は2回2死、この日8番ショートでプロ初先発出場をはたした外崎に打席が回ってきた。
7月3日に1軍に昇格した外崎は、同8日のオリックス戦の6回に中村剛也の代走としてプロデビューを飾ると、8回に回ってきたプロ初打席で見事右前にプロ初安打を放った“持っている男”だった。
そして、この日もカウント2-0から吉川光夫の内角高め139キロ直球をフルスイングすると、高々と上がった打球は左翼ポールの上を通過してスタンドへ。ポールの内側を通ったので、本塁打と思われた。
ところが、石山智也三塁塁審は両手を左右に広げて「ファウル!」のゼスチャー。「本塁打ではないか?」と田辺徳雄監督が抗議したのは言うまでもない。
二塁を回ったところで、石山塁審の判定を見て、いったん走るのをやめようとした外崎も、本塁打をアピールするようにそのまま三塁を回り、最後は歩くようにして本塁ベースをしっかりと踏んだ。
審判団が協議し、ビデオ検証を行った結果、判定が覆り、めでたく本塁打に。ビデオ判定によってファウルがプロ初本塁打になったのは、日本ハム・鵜久森淳志が2011年7月30日のソフトバンク戦で記録して以来、史上2人目の珍事だった。
プロ初安打に続いて持っている男ぶりを発揮した外崎も「緊張しましたが、(2回表に1点を返され)1点差になっていたので、思い切りいきました。リプレー検証を待っている間、すごくドキドキしていました。結果、ホームランに判定が変わったので、特別にうれしいです。ボールは青森の両親にプレゼントします」と大喜びだった。
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