「総SNS時代」に分断を呼ぶ「推し」と「アンチ」にならないために…「江藤淳」と「加藤典洋」に学ぶ“間”に留まる生き方のススメ

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歴史を紡ぐ機能を持っていた

「いまは話題のトピックについて、その分野の『専門家』を名乗る人が発言することになっていますね。以前は文学が、人間存在の全体を捉えて表現するものだと見なされ、それを論じることで、時代を越える普遍的な問題に迫ることができました。しかしいまは、問題が起きれば、そのつど近い分野の専門家をメディアが呼び出し、スパッと手短に解説させる。人が関心を持つ話題は刻々と変わっていき、それを論じる人もコロコロ替わる。こうなると、『歴史』が存在しなくなってしまいます。時代を貫いて『この時代の日本に何が起こっていたのか』『人はあの前後でどう変わったのか』を語るような、歴史感覚を持った言論が生まれてこないのです」

 江藤淳や加藤典洋は文芸評論家として、歴史を紡ぐ機能を担っていた。そうした存在が、現在は見当たらなくなっているということか。

「江藤淳は、1967年の代表作『成熟と喪失』で、理想ではないが最悪でもない現状に留まり続け、成熟した態度で生きることの重要性を、小島信夫『抱擁家族』など戦後の小説作品を読み解きながら論じました。保守派に転じて以降の江藤は、そうした中間的な居場所で我慢する日本人の生き方こそが『伝統』だと考え、『歴史の守り人』のような立場で生きてきました。それはなかなか疲れる生き方だったことでしょう。

 そのとき心の支えとして江藤さんが見出したのは、昭和天皇でした。戦前は『現人神』として存在していた昭和天皇は、戦後は人間だとされてもそれに耐え、生き続けました。これが戦後の日本人みんなのモデルであるべきだと、江藤は説いた。いわば昭和天皇を“推す”ことで、自分も何とか生き延びていこうとしたのが江藤淳で、だから平成に入って昭和天皇の実像を示す史料が公開されると、非常につらかったのだと思います」

加藤さんもまた歴史を守ってきた人

 本書のもうひとりの主役、加藤典洋は、評論家の先輩である江藤淳を継ぐ存在であったのか、もしくは、まったく異なる方向性を示していたのだろうか。與那覇氏が、ふたりの因縁について教えてくれた。

「加藤典洋のデビュー評論『アメリカの影』はそもそも、江藤淳論でした。ここで加藤さんは、江藤さんを大いに認めつつも、違和感のあるところは率直に指摘し、そこを乗り越えていこうとします。いま風に言えば、過去の先人から学びつつも『アップデート』する姿勢です。基になる論考を1995年に発表した『敗戦後論』をめぐる論争でも、加藤さんはそうした態度を示しています。

 この本は、戦後日本にはさまざまな『ねじれ』が生じており、その解消のためには憲法も含めて『一度、選び直すべき』だと論じたため、文壇・論壇で総アンチ状態と言っていいくらいに叩かれました。それでも加藤さんは、各々の批判を受け止めて、これはくだらない悪口に過ぎないが、こっちは的を射ている、その範囲では分かり合える部分があるはず……などと、それぞれを咀嚼しながら新しい考察へつなげていった。江藤さんもそうですが、加藤さんもまた、自分の闘い方を貫いて、歴史を守ってきた人だったのだろうと思います」

 本書『江藤淳と加藤典洋 戦後史を歩きなおす』をスタート地点として與那覇氏は、江藤淳から加藤典洋へと継がれてきた文芸評論のバトンを、受け取ろうとしているように見える。

「この本を出したことで、僕も『文芸評論家です』などと僭称するつもりはありません。ただし、江藤さん、加藤さんからバトンを継いだ面があるとすれば、論争は『フェアな形で』いくらでもやるという姿勢でしょうか。そのときに注意したいのは、やはり推しにもアンチにもならないこと。好き嫌いの両端ではなく、間に踏み留まって他者と対話する姿勢をとり続けることを、僕は江藤淳と加藤典洋から学びました。それは『あなたはトランプ推し? それともアンチ・トランプ?』などとすぐに二者択一を迫るのではない生き方への、第一歩になるものだと思います」

 與那覇潤氏が提唱する、推しでもアンチでもなく、間に留まる生き方のススメ。しかと受け止めたいところである。

與那覇 潤(よなはじゅん)
評論家。1979年生まれ。学者時代の専門は日本近代史。地方公立大学准教授として教鞭をとった後、双極性障害にともなう重度のうつにより退職。精神科医・斎藤環氏との共著『心を病んだらいけないの?―うつ病社会の処方箋―』(新潮選書)で、2020年に小林秀雄賞受賞。21年、コロナ禍での歴史学界の堕落を批判し学者廃業を宣言。代表作に『中国化する日本』『知性は死なない』(ともに文春文庫)、『平成史』(文藝春秋)ほか。

山内宏泰/ライター
1972年、愛知県生まれ。美術、写真、教育などを中心に各誌、ネット媒体に執筆。著書に『写真を読む夜』(誠文堂新光社)、『大人の教養としてのアート入門』(note)など。

デイリー新潮編集部

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