「総SNS時代」に分断を呼ぶ「推し」と「アンチ」にならないために…「江藤淳」と「加藤典洋」に学ぶ“間”に留まる生き方のススメ

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 戦後を代表するふたりの批評家の思想と行動を読み解くことで、歴史の重みと現代の課題を浮き彫りにする文芸評論。それが今年5月に刊行された評論家・與那覇潤氏による『江藤淳と加藤典洋 戦後史を歩きなおす』(文藝春秋)だ。このふたりの文芸評論家から我々は何を学ぶべきか、その生きざまを與那覇氏が語る。【山内宏泰/ライター】

※「本にまつわる学び」をオンライン講座や動画配信で提供する「新潮社 本の学校」が6月25日に配信したウェビナー「『推し』でも「アンチ」でもない生き方のために…文芸評論の双璧「江藤淳と加藤典洋」に学ぶ」の内容を再構成しています。

総SNS時代に「推し」と「アンチ」が大量発生

 もともとは歴史学者であった與那覇潤氏による、初めての文芸評論として話題を呼ぶのが本書だ。

 與那覇氏が取り上げたふたりについて、改めて簡単な紹介をしておこう。

 江藤淳(1932-1999)は戦後日本を代表する文芸評論家。1956年『夏目漱石』でデビュー。漱石への関心は生涯にわたり持続し、『漱石とその時代』をライフワークとして書き続けた。『アメリカと私』『成熟と喪失』など精力的な執筆活動を展開し、文芸界のみならず社会的にも広い影響力を持った。

 加藤典洋(1948-2019)も、江藤の後の世代の代表的文芸評論家。「団塊の世代」「全共闘世代」と呼ばれる時代に生まれ、自身も学生運動に身を投じた時期があった。1985年『アメリカの影』でデビュー。代表作のひとつ『敗戦後論』で戦後日本の歴史認識に鋭く切り込み、大きな話題となる。

 ともに評論家ではあるものの、作風も世代も異なるこのふたりを、並べたのはなぜだったのか。與那覇氏は、複数の名前を掲げて論じることの意味を、「推し」にも「アンチ」にもならないために重要なのだと語る。

「ひとりのみを取り上げてものを書くと、どうしても対象に没入することとなります。たとえば江藤淳だけを取り上げた場合、『江藤淳、推し』となるか、逆にものすごくアンチに振って全面否定するか、になりがちです。『僕はこの点は江藤さんのほうに近い、でも別の点では、むしろ加藤さんのほうに説得力を感じる』のように、江藤と加藤を並べることで、推しかアンチかの両極に行くことなく、対象と適切な距離を保つスタイルが提唱できるんじゃないか。そんな直感めいたものが働きました」

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