本丸劇場「丸の内TOEI」閉館で気になる「東映」の今後…“東宝ひとり勝ち”の現状を打破できるか
本丸が閉館
1960(昭和35)年9月20日に東京・銀座に開館した映画館「丸の内TOEI」が7月27日、本社ビル・東映会館の再開発と本社移転を受けて閉館した。
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閉館に際し、同劇場では2014年に81歳で亡くなった菅原文太主演の「仁義なき戦い」シリーズ、薬師丸ひろ子(61)主演の「セーラー服と機関銃」(81年)、舘ひろし(75)・柴田恭兵(73)主演の「あぶない刑事」シリーズ(87年~)、役所広司(69)・黒木瞳主演(64)の「失楽園」(97年)など過去の名作から、木村拓哉(52)主演の「レジェンド&バタフライ」(23年)など、5月9日から80日間で100作超の名作を上映した企画「さよなら 丸の内TOEI」を開催、4万6120人を動員し、興行収入7761万8400円を記録した。
最終上映グランドフィナーレにサプライズで駆けつけ登壇したのは吉永小百合(80)で、ラストに上映されたのは、やはり東映にとって功労者で、2014年に83歳で亡くなった高倉健と吉永が初共演でダブル主演した「動乱」(1980年、森谷司郎監督)だった。五・一五事件から二・二六事件までの激動の時代を背景に、高倉は寡黙な青年将校、吉永はその妻を演じた。
吉永は、「きっと高倉健さんも空からご覧になっていると思う。『動乱』は大切な作品。丸の内TOEIでは20本の作品で舞台あいさつしました。こんな形でごあいさつできるのは恵まれている」と胸中を吐露。「でも映画館がなくなってしまうことはつらい」と閉館を惜しんだ。
「今回のイベントは、東映作品のファンがいかに多いかを証明しました。東映にとって本丸ともいえる劇場が閉館し、新たな時代を歩むことになりますが、これまで数々の名作や力作を生み出してきたような“明るい未来”を模索しているのが現状です」(映画担当記者)
東映は1951年に「東京映画配給株式会社」が「東横映画株式会社」「太泉映画株式会社」を吸収合併して設立。日本の映画会社では唯一、撮影所を東京と京都に2つ保有しており、東宝・松竹と共に、日本のメジャー映画会社「御三家」の1社として君臨している。ちなみに、この3社のうち、東映はプロ野球・北海道日本ハムファイターズの前身となった「東映フライヤーズ」(1954~72年)、松竹は「松竹ロビンス」(1936年~52年、現在は消滅球団扱い)を所有していた。
東映はまず1950~60年代、戦前から活躍する時代劇スターの片岡千恵蔵さん、俳優の北大路欣也(82)の父・市川右太衛門さん、月形龍之介さん、大友柳太朗さんらを擁し“時代劇ブーム”を巻き起こす。60年代には子供向けの興行「東映まんがまつり」もスタートさせ、劇場に足を運ぶ観客層を広げた。
「1959年に東西両撮影所で、年間103本、翌60年は170本を製作。60年の大手6社の製作総本数522本のうち、3分の1を東映映画が占めるという、当時は“ひとり勝ち”のような状態でした」(ベテラン映画記者)
その最中の60年、本丸の劇場となる「丸の内東映」が開館。こけら落としではステージに当時の東映時代劇スターが勢ぞろいし、口上や舞を披露。華やかに歴史の幕を開けた。人気にあぐらをかくことなく、新人発掘オーディション「東映ニューフェイス」から高倉さん、梅宮辰夫さん、千葉真一さんらを輩出した。
実録路線にも
やがて時代劇で集客ができなくなると、70年代には「実録路線」と銘打った「仁義なき戦い」や、「トラック野郎」などのシリーズものがヒット。後に世界的に高評価を受けることになる高倉さん主演のパニックムービー「新幹線大爆破」(75年)などで、発掘した次世代のスターたちが活躍し始めた。
80年代前半は薬師丸ひろ子主演の「セーラー服と機関銃」、原田知世(57)主演の「時をかける少女」などの「角川映画」、80年代後半は人気コミックを実写化したヤンキー高校生2人組が主人公の「ビーバップ・ハイスクール」シリーズがブームを巻き起こした。
「黄金期ともいえる71年から93年まで社長を務めたのが岡田茂さん。それを撮影所の所長やプロデューサーを歴任している高岩淡さんが93年から2002年まで引き継ぎ、02年から茂さんの息子で元俳優だった岡田裕介さんにバトンタッチします。3人とも四六時中、映画の企画を考えている、いい意味での“映画バカ”。現場のスタッフも活気がみなぎっていて、そんな土壌がヒット作の企画を生み出していました」(先の記者)
映画界では99年まで、興行収入から映画館(興行側)の取り分を差し引いた映画配給会社の取り分である「配給収入」が公表され、2000年からは「興行収入」に興行成績の基準が切り替わった。
90年から96年まで、東映の配収トップ作品を見ると、90年は海音寺潮五郎の歴史小説を実写映画化した大型時代劇「天と地と」。91年から96年までは「ドラゴンボールZ」などを中心とした「東映アニメフェア」がトップになった。
その後、97年は渡辺淳一さん原作の泥沼の不倫劇を描いた「失楽園」。98年は後に直木賞作家となる馳星周さんの暗黒小説を実写家した「不夜城」と、東京裁判でA級戦犯となった東條英機を主人公にした「プライド・運命の瞬間」。99年は浅田次郎さんの小説を実写化し、高倉さんが主演した「鉄道員(ぽっぽや)」がトップを獲得した。
「このころから、各映画会社はオリジナル脚本の映画を製作するよりも、ヒットした漫画や小説の映画化権を取りに行く方向にシフトしています。そんな中で、『プライド』は東映の気概を見せたかなり攻めた作品でした。もともとアニメは好調で、仮面ライダーシリーズ、特撮戦隊シリーズは安定した集客が見込めます。90年ごろまでは、東宝と年間配収争いでデッドヒートを繰り広げていましたが、どんどん差をつけられていくことになり、2000年代に入ると、もはや、その差を埋めることができなくなってしまいました」(映画業界関係者)
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