「素人が音楽フェスを運営できるのか」と笑われても 渋谷陽一さんが貫いた“ロックに対する考え方”【追悼】
「素人が音楽フェスを運営できるのか」と冷笑も
86年に邦楽ロックを扱う「ロッキング・オン・ジャパン」を創刊、成功させる。大衆的なものは売れてこそ評価になると受け止めた。商業主義的なロックを批判しながら矛盾しているが、
「赤字は言い訳できないとの思いは、『ロッキング・オン』の創刊時に辛酸をなめたからです。読者やファンが今、何を求めているのか、毎日のようにライブを訪れ、マーケティング主導で考え行動していた」(富澤さん)
映画やインタビュー記事が充実した雑誌「CUT」を89年に創刊。畑違いの分野だが、読者をつかむ。
2000年からは大規模な音楽イベント「ロック・イン・ジャパン・フェスティバル」をプロデュースする。
「素人が音楽フェスを企画運営できるのかと冷笑された。“ロックは聴き手が主役”と考えてきた渋谷さんにとって、イベントは聴き手とアーティストが直接向き合う場との発想で飛躍はなかった」(富澤さん)
「ロッキング・オン」常連投稿者と結婚
時には直言で相手を怒らせてしまうような取材だが、アーティストとはかえって信頼関係を築けており、出演の顔触れは毎年豪華だった。コロナ禍前の19年には5日間で33万人余りが来場。日本最大の野外ロックフェスとなる。他にも年間二つの音楽フェスを定着させている。
「フェスは雑誌刊行を大きく上回る事業になり、名経営者と目された。ワンマンではなく後進に仕事を引き継いでいます」(富澤さん)
近年ではアニメとライブを融合させる事業を中心になって進める一方、NHKラジオの「ワールドロックナウ」でDJを続けていた。
家族についてほとんど語らなかった。文章に長けた、「ロッキング・オン」の常連投稿者と結婚。1女1男を授かっている。
23年、脳出血で倒れ、リハビリに取り組んでいたが、今年に入り誤嚥性肺炎に。7月14日、74歳で逝去。
時代に即し、好きなロックをビジネスにして成長を遂げた果報者である。
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