今市隆二が見せた怖過ぎる「ウラの顔」 ギャップ売りタレントが抱える「あるリスク」とは

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「キャラ」は資産でもあり呪い ギャップ戦略を終わらせた韓国アイドル育成システムの普及

 SNS時代において、「キャラ」は本人のものだけでなく、周囲が期待するイメージでもある。タレント側がどんなにナチュラルを装っていても、「意外とこんな人物だった」という評価は勝手に形成され、利用される。

「怖そうに見えるけど優しい」「オンナっぽく見えるけどサバサバしている」といった良い意味でのギャップは歓迎されるが、いざスキャンダルが起きると、「やっぱりそうだった」と手のひらを返される。

 そしてこの構造を最も支えているのが、視聴者やファンといった消費者自身なのだ。ギャップを好むがゆえに、その維持に過剰なリアリティーや一貫性を求め、本人が「素」を見せたときに「裏切り」として断罪する。

 しかし、こうした流れの転換点になったのが、韓国発のアイドル育成システムの登場だ。アイドル候補生たちは、「見た目も中身も美しく整った人材」として訓練され、その様子がオーディション番組やドキュメンタリーで可視化されながらデビューしていく。見た目だけでなく、努力や礼儀、人間性まで評価の対象とされ、強みも弱みも視聴者が確認した上で「投票」という形で支持を得る。

 この「透明な育成プロセス」への信頼が、K-POP人気の土台なのだろう。そして、同様の育成型モデルやSNSでの人格開示の流れは、日本でもNizi ProjectやNo No Girlsオーディション、timelesz projectなどで取り入れられ社会現象にもなった。こうした新世代のグループは、見た目と中身のギャップではなく、最初から「内面の清潔感」を前提にプロデュースされている。つまり、「ギャップ」に依存した演出は、信頼されるどころか「虚飾」と見なされる時代が来ているということではないだろうか。

BE:FIRSTのRYOKIのスキャンダルにも通じる「過度な好青年イメージ」 今後はギャップでなくグラデーションの時代

 となれば、これからの芸能界に必要なのは、「ギャップを前提としない」プロデュースだろう。見た目やイメージと中身を強引に引き離して演出するのではなく、その人の多面性をあるがままに伝えること、失敗や短所も含めて包摂するタレント像が求められる。

 今回の今市さんの報道を見て、BE:FIRSTのRYOKIさんのスキャンダルが思い浮かんだ。「どんなにトークや朝ドラで爽やかぶっていても、やっぱり金や女にチャラい奴だった」と一気に好感度が急落したのを、今市さんやLDH関係者は見ていなかったのだろうか。 

 RYOKIさんをオーディションで採用した所属事務所社長のSKY-HI氏は、「RYOKIに関しての教育は不十分であった」とコメントした。LDHという事務所も徹底したブランディングと厳格な育成で知られているが、同時に過度な「好青年イメージ」を今市氏に背負わせてきたツケも大きいように思う。今市氏の件も個人の問題であると同時に、そうした構造的な「キャラ生成の設計ミス」ともいえるだろう。 

 見た目と中身のギャップに夢を見た時代が、静かに終わろうとしている。これからの芸能人に必要なのは、ギャップよりもグラデーション。光も影も全部を抱えて踊れる人だけが、まばゆい「流星」の先へ進めるのかもしれない。

冨士海ネコ(ライター)

デイリー新潮編集部

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