【原爆投下から80年】至近距離で被爆、「22度のがん」を乗り越え「原爆の恐ろしさ」を訴え続けた「兒玉光雄さん」の壮絶な人生
「広島中がやられとる」
〈気を失ったようだった。口の中は脂ぎった泥を押し込められたような不快感で一杯だった。光雄はゴホッゴホッとむせると、胃の中の物を吐き出した。埃がもうもうと立ちこめている。咳と嘔吐が止まらなかった〉
朝だった教室が、夜のように暗くなっていた。校舎の屋根が落ち、自分はその梁と座面との間にできたわずかな隙間に挟まっているのが分かった。必死の思いで外に出ると、
〈空は、灰色に覆われていた。おぼろ月のように、一点だけが丸く、白く浮かび上がっていた。太陽のようであった〉
倒壊した建物に閉じ込められた同級生たちの声がする。助けようと木材を動かそうとするが、なかなかうまくいかない。やがて、少しずつ、あたりの様子が見えるようになってきた。兒玉さんは最初、自分の校舎だけがやられていると思っていたが、そうではなかった。
〈西の方からは、赤い炎が吹き出しているのが見えた。中国配電のビルの窓から上がる火の手だった。その先には、真っ黒な入道雲が、何かの意思を持った生き物のように、むくむくと湧き上がっていた。北の方に目をやると、デパートの福屋や中国新聞のビルがうっすらと見えた。一中から二つのビルまでは、一キロ近くある。間の建物がすべて消えてしまっているらしかった。光雄の背中を冷たい物が走り抜け、思わず身震いした。
「どうなっとるんじゃ。一中だけじゃない、広島中がやられとるぞ」〉
同級生たちの無残な姿も飛び込んでくる。落ちてきた梁に頭を割られ、どす黒い血とともに薄紅色の脳が流れ出したまま絶命しているもの。首のあたりから大量の血を流し、何かを言おうとしているのか、喉がゼロゼロと鳴くもの――。
助けを呼びに駆け出した兒玉さんは、さらなる惨状を目の当たりにする。
〈ぼんやりと何人かの人影が見えた。様子がおかしかった。皆、膝と腰をかがめ、すり足のような格好で歩いている。両手は前腕を持ち上げ幽霊のように突き出していた。呼び止めようと近づいた光雄は、その姿に息をのんだ。顔は焼けただれ、皮膚が溶けた蝋(ろう)のように流れ落ちていて、瞼の皮はぶら下がり、薄目を開けたようになっていた。帽子を被っていたあとなのか、布に隠れていた部分だけ髪の毛が残り、帽子の線より下はカミソリで剃り落としたように一直線に毛がなくなっている。唇は腫れ上がり、めくり上げたように大きくなっていた。顔全体が膨張し、細い目と鼻の穴と、真っ赤な大きな唇が並んでいる。皆似たような風貌になっていた〉
〈持ち上げている両腕は、肩の辺りから指先に向けて、生皮を剥いだように中の肉がむき出しになり、血と分泌液が流れ出ていた。腕の下には、着物の袖のように、溶け落ちた皮がぶら下がっていた。爪の先にも、皮膚がぶら下がり、動きに合わせて紙のようにふらふらと揺れていた。上着やズボンは黒く焼け焦げているだけでなく、強暴な力で引っ張られたように切れ切れの布になっていた。頭からつま先まで、無事なところはどこにもなかった〉
同じように焼けただれた人たちが姿を現し、中には兒玉さんと同じクラスの者もいた。彼らが目指した場所は……そして、そこで繰り広げられた痛ましくも、悲しい惨劇とは……。
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