「スーパーナンペイ事件」捜査員が打ち明ける“瀬戸際の交渉”…カナダ在住「疑惑の中国人」を日本に連行した「ミッションインポッシブル」とは
難航を極める交渉
カナダ在住の中国人K・Rをいかにして日本に連れてくるか。警視庁捜査一課のナンバー2である理事官として、「八王子スーパーナンペイ強盗殺人事件」をめぐり、警察庁、外務省、法務・検察当局などと折衝を重ねる原雄一(68)。外務省の担当者は、「前例はありますか。本気で考えているのか。薬物事案で中国政府も送還を要求している中国人を、日本の旅券法違反で逮捕し、日本に身柄を持ってくるなんて、カナダ政府が認めるわけないでしょう」と最初から難色を示した。【鹿島圭介/ジャーナリスト】
【写真】亡くなった被害女性3人の素顔。警視庁は事件発生から30年が経過したいまも、新たにポスターを作成して目撃証言を求めている。
第3回【平成を代表する「未解決事件」の捜査が難航を極めた理由…夜の街に“潜入”した捜査員を襲った“身内からの妨害”】からの続き
原は関係当局と粘り強く協議を重ねる一方、カナダ司法省とも交渉を始めていた。やがてその熱意は役人らにも伝わり、理解を得られるようになった。とりわけ外務省旅券課は積極的に協力してくれた。
そのスキームはこうだ。
まず2002年、名古屋空港から出国するため。(1)実在する日本人男性名義のパスポートを不正に入手し、(2)そのパスポートを使用して出国した旅券法違反の逮捕状を取得。それに基づき、カナダの司法当局に身柄拘束を依頼し、当地の裁判所の承認を経たうえで、日本から捜査員を派遣し、引き渡してもらう。
おそらく、日本と犯罪人引き渡し条約を締結していないカナダの司法当局は逮捕・移送にNOを突き付けるだろう。だから、最初から真の目的を示して、1995年、東京・八王子で発生した強盗殺人の立件がゴールであることを伝える。
Kに口を割らせるには時間がかかるだろうから、その間、新たにKの関与が判明している日中混成強盗団による余罪で再逮捕して身柄をつないでいくという算段だった。
カナダから届いた朗報
だが、予想どおり、カナダ司法省は、初めてのケースであり、そのノウハウが分からずに、戸惑っているようだった。それに対し、在加日本大使館を介して、包み隠すことなく、本音で説得していった。
10時間以上の時差のある当地とのやりとりは主にメールだ。前日、送信した質問や要請に対する返答を翌朝、確認。それに対し、当日夕方までには、こちらも回答を返信して、朝、出勤した司法省検察官と日本国大使館書記官が閲覧できるような作業が続いた。原が振り返る。
「カナダの検察官たちは協力的でした。捜査当局に属する人間として、“遺族のためにも、子供をも残虐に殺害した犯人を捕まえ、コールドケースを解決したい”という思いが通じ、共感してくれたのでしょう」
そしてついに2012年9月、カナダから原のもとに朗報が届いた。Kの身柄引き渡しが決まったのである。しかし、Kの弁護人は控訴。そして、実際に引き渡されたのは、2013年だった。日本の関係省庁をとりまとめ、カナダの司法当局に身柄引き渡しを要請し、認めさせる、という前代未聞の壮大なオペレーションは完遂されたのだ。しかし、すでにこの時、作業開始から実に丸2年もの年月が費やされていた。
この間、原の職責にも変化が生じていた。引渡しが決まった当日、警視庁本部の捜査一課から築地警察署の副署長に異動した。「あとは後任者たちがしっかり捜査するから心配するな」と捜査第一課長や刑事部長から諭されたが、とても信じられなかった。
「この人事には驚きました。今、私を外して大丈夫なのだろうかとと思いましたが、組織の方針ですので、従わざるを得なかった。当然、Kの取り調べは、中国人強盗団の捜査に携わってきた熟練の警部補たちがやるものと思っていました」
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