タイ・カッブを凌いだ「本当のMLB史上最強打者」の伝説と残酷すぎた運命(小林信也)

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スピードの魅力

 ギブソンと一緒にプレーした選手の証言もある。

 48年にドジャースでMLBデビューし、3度のリーグMVPに輝いた名捕手ロイ・キャンパネラは15歳から約10年、ニグロリーグでプレーした。ギブソンの印象をこう語っている。

「攻走守、どれを取っても自分より上だった。飛ばすことにかけてはベーブ・ルース以上。確実性ではテッド・ウィリアムス以上」

 ニグロリーグは、MLBより画期的な野球を展開していたという声もある。

 MLBアナリストの福島良一が教えてくれた。

「ベーブ・ルースの時代はホームランが重視された。ジャッキー・ロビンソンをはじめ黒人選手が入って、MLBの野球はスピードの魅力が見直されたのです」

敬遠された理由

 それにしても、これほどの大打者なら、ニグロリーグからMLBに移籍し、活躍してもおかしくなかったと考えてしまう。

 ずっと黒人を締め出していたメジャー・リーグで、ドジャースが最初の黒人選手ロビンソンと契約したのは45年。ギブソンはまだ33歳だった。

 ドジャースの獲得リストの中には当然、ギブソンの名もあったといわれる。だが、その頃すでにギブソンは峠を越え、体調がひどく崩れていた。31歳を過ぎるころから、それまでは甘党でお酒をほとんど飲まなかったのに、酒に溺れるようになった。薬物の使用もあり、45年ごろには捕手として守ることが難しくなっていた。それでも打撃は健在だったが、その体調、その素行ではドジャースが敬遠するのも無理はない。

 しかもロビンソンのドジャース入りで、ギブソンの酒量はいっそう増えたという。

(なぜ、自分や大投手サッチェル・ペイジでなくロビンソンが最初なのか)

 ほんの数年、生まれた年が早すぎた……。運命は時に残酷だ。

 そして47年1月、ギブソンは35歳の若さで急死する。浴びるように飲んだお酒が原因の脳卒中と伝えられている。ロビンソンがMLBデビューを果たす3カ月前。ギブソンは同じニグロリーグ出身選手が晴れてMLBで活躍する姿を見ることなく逝った。

 野球殿堂は72年、ニグロリーグ特別委員会の投票で、ギブソンを迎え入れると決めた。

小林信也(こばやしのぶや)
スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部などを経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』『武術に学ぶスポーツ進化論』など著書多数。

週刊新潮 2025年7月31日号掲載

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