【べらぼう】江戸版「SNS」と「石破おろし」で田沼父子は悪者に仕立て上げられた

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佐野が大明神に「仕立て上げられた」

 田沼意次(渡辺謙)の嫡男で若年寄の意知(宮沢氷魚)が江戸城中で、将軍の警護役である佐野政言(矢本悠馬)に斬られ、命を落とした。むろん佐野は切腹した。だが、被害者である意知の葬列には石が投げられ、綾瀬はるかの「意知様の死と佐野殿の切腹は、世のまつりごとへの不満と相成り、あらぬほうへと向かっていったのです」という語りが差し込まれた。NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』の第28回「佐野世直大明神」(7月27日放送)。

「あらぬほう」とはどういう方向か。たとえば、井戸端の女たちはこう噂した。「聞いたかい? ここんとこ安い米が出回ってんだってさ」「聞いた、聞いた。佐野様が田沼の息子を切ったから、米の値が下ったんだろ? 」「佐野様、佐野様、佐野福の神様」「ほんとだよ。佐野様のおかげだよ」。

 蔦重こと蔦屋重三郎(横浜流星)も、小田新之助(井之脇海)に「蔦重は田沼様びいきなのか?」と尋ねられ、こう答えた。「斬られたほうが石投げられて、斬ったほうが拝まれるってなあ、さすがについていけねえです」。

 その後、これまでも佐野をそそのかしたり、意知の葬列に率先して石を投げたりした同じ男が、佐野の菩提寺に「佐野世直し大明神」という幟を立て、それを見た蔦重は「(田沼が悪で佐野が善であるように)仕立て上げられている」と、はたと気づいた。

「仕立て上げられている」とは要するに、意図的に噂が流され、世論が撹乱されて、ある方向に導かれること、と言い換えられる。すると、現代の日本で起きていることと重ならないだろうか。

田沼の米価引き下げ策が佐野の手柄に

 意知が殺された天明4年(1784)3月当時、江戸の庶民は疲弊していた。米価の高騰が原因である。1カ月ほど前にも、武蔵多摩郡村山(東京都東村山市)に農民が集結し、米を買い占めている商人の家宅を打ちこわした。米価高騰はそのまま、田沼父子の政治への不満に結びついた。

 ただ、田沼父子が手をこまねいていたのではない。この時期、浅間山の噴火や天候不順に端を発する天明の大飢饉の真っただ中で、手を打つにも限界があった。そんななか田沼政権は、大阪商人の買持米6万5000石を徴収して江戸に廻送させた。この施策は成功したのだが、米価が下りはじめたのはよりによって、佐野が切腹した翌日だった。このため、「べらぼう」で描かれたように、米価の下落は「佐野様のおかげ」ということになり、しまいに佐野は「世直し大明神」として拝まれるまでになった。

 実際、佐野が徳本寺(台東区西浅草)に葬られると、墓所には参詣者が押し寄せた。寺の門前には佐野の墓に備える花や線香を売る店のほか、墓にかける水を売る店まで並んだというから、日々よほどの数が押し寄せたということである。

 そもそも意知の暗殺からして、佐野の一存で行われたとは想像しにくい。「べらぼう」では次期将軍の父である一橋治済(生田斗真)が裏で糸を引くように描いているが、実際、オランダ商館長のイサーク・ティチングは史料に、「この殺人事件に伴ういろいろの事情から推測するに、もっとも幕府の高い位にある高官数名が事件にあずかっており、また、この事件を使嗾[そそのかすこと]しているように思われる」と書いていた。

デマでムーブメントが形成される

 ティチングによる記述は、秦新二氏・竹之下誠一著『田沼意次・意知父子を誰が消し去った?』(清水書院)からの引用で、この本の著者は「意知の暗殺も一橋治済の手の者によって実行されたのではないかと思われてくる」と書く。

 そのうえ、田沼への反感を煽り、佐野を讃える情報操作も行われたのだろうか。それを裏づける史料はないが、田沼が石を投げられ佐野が拝まれる状況は、田沼父子が目の上のたん瘤だった治済らにとって、都合がよかったことはまちがいない。

 そして、蔦重が「仕立て上げられている」と語ったこの状況は、現代においてSNS等に流れるデマを含む情報によって、あるムーブメントが形成されていくこととよく似ている。

 昨年11月の兵庫県知事選挙におけるSNSでのデマや誹謗中傷は典型だろう。先の参院選でも、SNS上に大量のニセ情報、誤情報が流れ、有権者に影響をあたえたと指摘されている。むろん、田沼時代にはSNSはおろか「オールドメディア」も存在しなかったが、狭い江戸において、噂を拡散するのは、さほど難しくなかったのではないだろうか。

 あるいはデマ情報ではないが、先の参院選ではすべての野党が消費税の減税や廃止を主張した。だが、頭を冷やして考えれば、債務残高が対CDP比240%と、あらゆる国や地域のなかで圧倒的に酷い状況にある日本に、急激な人口減で今後の税収源が必至の状況において、減税する余裕などあるはずがない。だが、本気なのか、無理とわかっての人気取りなのかわからないが、全野党が減税を説いた結果、「減税をめざさない政治家は国民生活を無視している」というムーブメントができた。国民の将来のために耐え忍ぶしかない、という未来を慮った意見には、「国民を無視」というレッテルが貼られてしまった。

 佐野が大明神に「仕立て上げられて」いく過程は、現代に生きる私たちが「人の振り見て我が振り直す」べきことのように思われる。やはり歴史は教訓に満ちているが、田沼たたきにはもうひとつ、教訓にしたい点がある。

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