「師匠、必ずセンターマイクに戻ります」…大病と闘い続ける「宮川大助・花子」の“座・マンザイ”という覚悟

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「花ちゃんにしゃべらせたら?」

 ネタを考え台本を書くのは大助で、当所、しゃべくりを担当していたのも大助だった。だが、ネタを考える能力はあっても、大助にしゃべくりの才能はいま一つ。天才的なセンスがあるのは、大阪生まれで根っからの関西人である花子の方だった。

 このことを的確に指摘したのは、大ベテランの夢路いとし・喜味こいし師匠。「花ちゃんにしゃべらせたらどうや?」とアドバイスされた。大助は述懐する。

「これや! と思って次の日からすぐにスタイルを変えたらこれが大当たり。1年後には今宮戎神社こどもえびすマンザイ新人コンクール奨励賞、その1年後にはABC漫才落語新人コンクール最優秀新人賞をいただけた」

 花子はいとこい師匠のアドバイスを「余計なおせっかい(笑)」と思ったそうで、著書でも触れていないが、これが大助・花子の転機になったことは間違いない。

 大助は当初、病気になるほど漫才で花子を追い込んだことを今も反省しているが、花子はそれでも漫才に引き摺り込んで人気者にしてくれた大助に「漫才に誘っていただき、本当にありがとうございました」と繰り返し語っている。

 センターマイクに立つ時に花子が車椅子で登場すると、それにあわせて大助も用意された椅子に座って漫才をやる。これぞまさに「座・マンザイ」だという。

 思わず「座布団一枚!」と声が出そうだ。

峯田淳/コラムニスト

デイリー新潮編集部

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