美術の授業で浮世絵を模写したら「成績1」 中川淳一郎がいまだに忘れられない“理不尽教師”エピソード

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 8月末まで佐賀県立美術館で開催中の「北斎・広重 大浮世絵展」に行ってきました。両者による「東海道五十三次」、北斎の「冨嶽三十六景」、広重の「名所江戸百景」をはじめ、歌舞伎絵や妖怪絵など計236点。教科書でよく見た絵や、広告や風刺画でもよく使われる「神奈川沖浪裏」の本物を見られて幸せな時間でしたが、浮世絵にまつわる苦い思い出がよみがえりました。

 中学1年生の夏休みの美術の宿題は「美術館に行き、買ってきた絵を模写する」というもの。描くなら東海道五十三次、と決めていたため、浮世絵も展示している上野の東京国立博物館へ。

 そこで55枚セットのポストカードを買い、「蒲原 夜之雪」を模写して「ドヤ! 良い出来栄えだ」と、休み明けに画用紙を丸めて美術の授業に行ったわけです。

 すると教師が全員分に目を通した後で「おい、中川、コレはなんだ!」とキレた。「東海道五十三次です」と言うと「どこで買った?」「国立博物館です」「コラッ! オレは“美術館”で絵を買えと言ったんだ。博物館とは言ってないッ!」。

 中学1年生が40過ぎの経験豊富な男に言い返せるわけもなく、ぶすっとしながら「はーい」と答えるにとどめました。

 2学期の美術、欠席はないし、課題はすべて提出したのに通知表は「1」。1学期の「3」からドッカーンと下がったのです。浮世絵の件が影響しているのは間違いないと考えました。美大の油絵学科出身のこの教師は常に西洋画のすばらしさを説いていたため、教え子が全員西洋画を模写すると思っていたのでは。

 そこに浮世絵を持って来るひねくれ者がいた。しかも指定した「美術館」ではなく、博物館で絵を買ってきた。「従順な羊を作るわが国の教育における異分子は成敗じゃー! 内申点はワシが握っておる!」とばかりに、怒りの「1」による鉄槌をくらわした小物であると冬休みには結論付けました。しかもクラスいちの美女A子がこの教師にひそかな思いを抱いているといううわさもまた、私の腹立たしさに拍車をかけた。当然、3学期も「1」です。

 昭和時代の教師って今考えると理不尽だったなと思います。なぜか竹刀や巨大しゃもじを常に持ち歩くガタイの良い体育教師がいて、騒ぐ生徒の尻をパーンとたたく。学習系教師も、生徒が教科書を忘れたら廊下に懲罰で立たせる。いや、修習が遅れるでしょうよ……。

 野球部の顧問は、練習でエラーをしたら金属バットで尻を3回たたく。試合で負けたら学校に隣接する市民体育館の400メートルトラックを30周させる。照明設備もないのに、日が完全に落ちてもノックをする。「先生見えません!」と悲鳴を上げようものなら、「あの長嶋茂雄だって、高校時代はボールに石灰を塗って練習をしたんだ! お前らもそうしろ!」と言って練習を延々終わらせない。

 ただ、大人になると、この手の恐竜系教師に対する怨嗟の声はあまり聞かれず、「昔の教師は無茶苦茶だったよな(笑)」なんて珍エピソードとして笑い話になる。

 しかーし、あの陰湿美術教師は違います。美術展に展示された北斎の描く妖怪の怨念が私に宿ったかのように今、こうして39年前の恨みを書いているのです。

中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973(昭和48)年東京都生まれ。ネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』等。

まんきつ
1975(昭和50)年埼玉県生まれ。日本大学藝術学部卒。ブログ「まんしゅうきつこのオリモノわんだーらんど」で注目を浴び、漫画家、イラストレーターとして活躍。著書に『アル中ワンダーランド』(扶桑社)『ハルモヤさん』(新潮社)など。

週刊新潮 2025年7月31日号掲載

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