人気漫画『ONE PIECE』に登場した「海賊教祖・王直」 モデルとされる歴史上の王直とは、どんな人物だったのか?
「週刊少年ジャンプ」の人気漫画『ONE PIECE(ワンピース)』1155話で、「海賊教祖・王直」というキャラクターが遂に姿を現し、ファンの間で話題を呼んでいる。
「王直」という名前は、16世紀に実在した“海賊”の頭目と同じ。歴史上の王直の方は、長崎県の平戸を拠点に一大勢力を築いた、いわゆる「倭寇」の1人であった。はたして、どんな人物だったのか?
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14世紀後半に盛んになった「前期倭寇」の主要舞台は、朝鮮半島沿海や北方の黄海・渤海方面だった。ところが初めての「倭寇」言及から二百年ほど経った16世紀に入ると、いわゆる「後期倭寇」の騒擾は、主として南方のシナ海で発生した。しかもそれは「前期倭寇」を抑えた日中両国の統制を乗り越える形で、である。
その担い手とありようは、日本史家の村井章介がいうように「倭服」という「コード」の共有など、かつての「倭人」と同じだったかもしれない。それでも活動の動機・様式・スケールは、大きく違っていた。しかもポルトガル人を先頭に、大航海時代で渡来した南蛮人・紅毛人も参与して、「倭人」に含むようになってくる。これまた未曾有の事態であった。
そこに作用していたのが「中国ファクター」である。大陸の経済社会に構造変容が生じ、それが波及して、日本列島ないし海洋世界との関わりも、大きく変動した。大陸の製品市場であり、かつまた貴金属を供給する列島・海外という位置づけが確定し、両者の経済的な紐帯が強まる。呼応して人的な往来も、いよいよ密になる。
そうした往来の表象となる一例として、田中健夫の所説をみてみたい。上にあげた大陸人の「倭人」にして「後期倭寇」の巨魁・王直を紹介した一節である。四十年以上も前の文章ながら、いま読んでも実に興味深い。
「平戸の王直は、部下二千余人を擁し、豪奢な屋敷に住んで、つねに緞衣をまとっており、港には三百余人を乗せる大船をうかべ、三十六島の逸民を指揮して王者さながらの生活をおくり、徽王ともよばれたという。……
王直をこのような大勢力にのしあげたのは、かれの商業取引の方法が適切だったからである。密貿易はもともと不法の貿易であり、大きな利益がある一面では予測できない危険をはらんだ行為でもあった。需要者と供給者はつねに一定しておらず浮動的だったし、決済の方法も現金のときもあれば貨物で支払われることもあった。信用の基礎はなく、紛争がおきてもその処理を訴えでる機関もない。このような不安定な状態での取引には、双方の当事者から信頼され、不法を断乎として制裁する実力をもったものの存在が必要である。王直は学問もあり計数にも明るく、それに衆望をあつめる性格をそなえていたから調停者としての条件をそなえていたといえる。王直が密貿易者の頭目として果した役目はまさにそれであった。かれは取引者の委託をうけて売買や交易を代行することもあった。それに、来航商人の宿所や倉庫の設備、売買の斡旋、業者の保護援助などもかれの仕事であった。かれは日本商人の業務を代行しただけでなく、中国商人やポルトガル商人の業務をも代行した。中国の法律にも日本の法律にも拘束されない場所での王直は、まさに倭寇国の王とよばれるにふさわしい存在だったのである。」(田中健夫『倭寇――海の歴史』講談社学術文庫)
まるで「多国籍の総合商社」の機能を持った王直
王直は徽州商人の出で、「徽王」という称号もそれにちなむ。徽州商人といえば、大陸内地の政商・財閥として著名だった。そんな出自の人物が「海域アジア」に出て、沿海の「密貿易」をとりしきり、列島の平戸に居留すること自体、14世紀・「前期」の時期・段階ではありえない。
そんな人物が「大勢力」に成長した要因としては、まず需給の不安定な市場に対する高度な対処能力である。「学問もあり計数にも明る」いのは、商人として当然の素養ではあって、実務も「取引者の委託をうけて売買や交易を代行」し、「来航商人の宿所や倉庫の設備、売買の斡旋、業者の保護援助など」をこなした。となれば、さながら多国籍の総合商社である。
そのように「商業取引の方法が適切だった」ばかりではない。「信用の基礎はなく」、「決済の方法も現金のときもあれば貨物で支払われる」ような、法定通貨の存在しない市場状況であるから、決済通貨の発行・選定もふくむ金融業・銀行業をも兼ねていたことになる。
いっそう重要なのは、マーケット全体の秩序・治安の維持であった。「中国の法律にも日本の法律にも拘束されない場所で」「紛争がおきてもその処理を訴えでる機関もない」、そ「のような不安定な状態での取引には、双方の当事者から信頼され、不法を断乎として制裁する実力をもったものの存在が必要である」。
そうした点、王直は「衆望をあつめる性格をそなえて」、「調停者として」打ってつけであった。つまりは経済のみならず、関連する司法・政治もとりしきる権力をもった、さながら君主にも見まがう存在なのである。
「まさに倭寇国の王とよばれるにふさわしい」から、「王者さながら」に「徽王ともよばれた」のである。この時代の「倭寇」の「本質」をいうなら、以上をそう見るべきであろう。
やや古い引用文の論理に瑕疵があるとすれば、「密貿易」を所与の前提、条件にしたところであろうか。因果関係の履き違えである。客観的に見れば、「もともと不法」な「密貿易」だから、そう行動した、のではなく、「信頼され」「衆望をあつめる」民意にかなった行動が、「不法」な「密貿易」とされた、のであった。
「密貿易」とは当代の政権・当局の「法律」・施政に違背した、という謂である。その「法律」は上にみたとおり、社会の実情・経済の実況・民間の意向から乖離していた。しかも明朝政権の体制は、旧態依然である。あくまで従前のイデオロギー・施政に固執した。
そのため明朝の当局者からみれば、「倭人」の王直らは、「寇」つまり「密貿易者の頭目と」ならざるをえない。そんな「密貿易者の頭目」が「中国の法律にも日本の法律にも拘束されない場所で」は、民意にかなう政治経済社会を掌握する「王」と化してしまうのである。
※この記事は、岡本隆司『倭寇とは何か 中華を揺さぶる「海賊」の正体』(新潮選書)の一部を再編集したものです。











