福祉を守るために移民を排斥する…「石破自民」大敗と「参政党」躍進で始まる「右と左のポピュリズム」が溶け合う日本の未来
参政党を支持するリベラル層
参政党は「反ワクチン運動」から始まり、“スピ系(スピリチュアル系)”の支持を集めていました。このひとたちは代替医療や超自然現象を信じていますが、“極右”や“排外主義”というわけではなく、その中核はリベラルで高学歴の女性だとされます(参政党の候補者に女性が多いのはこの影響でしょう)。「伝統」や「文化」にも強い関心をもっていて、それが「日本(故郷)を大切にしよう」という共同体主義(コミュニタリアニズム)的な主張につながります。
参政党はこの成功体験から、その時々でネットで注目されている話題を拾ってきてはパッチワークのように政策に組み込んで、YouTubeやSNSで拡散させるという戦略を編み出しました。Googleなどのプラットフォーマーは、異なるタイプのWebサイトをつくって、アクセスの多いほうを採用する「ランダム化比較試験」を活用していますが、参政党のプロモーション戦略もこれと同じで、とりあえずネットで見つけた主張をしてみて、そのなかから反応のよいものを選んでいるのでしょう。こうして「発見」した刺さるテーマが、外国人問題だったわけです。
アメリカでは左派(レフト)やリベラルが、ポリコレ(政治的な正しさ)のコードに違反した者をSNSなどで批判し、社会的な地位を奪うキャンセルカルチャーが猛威を振るっていますが、トランプの人種差別・女性差別的な発言をどれほどキャンセルしようとしてもまったく効果がありませんでした。
参政党代表の神谷宗幣氏も同じで、「日本人ファースト」は排外主義を助長するという批判があると、「表現が良くなかった」などとすぐに修正します。すると参政党の支持者は、「メディアは言葉尻をとらえて揚げ足を取っている」「悪意で誤解して批判の材料にしている」と、ますます支持を強固にするのです。
神谷氏は最近、反ワクチンについて言及しなくなりましたが、これは批判が届かないところに融通無碍にゴールポストを動かしていくからでしょう。それに対して日本保守党のように、ある程度、政策の「核」がある政党は、これまでの主張を都合よく修正することができないので、いちどつまずくと泥沼にはまり込んでしまいます。
主張を変えても“許される”
自民党の幹部が国民からの批判を受けて主張を転々とさせれば、当然ですが支持者やメディアから強い批判を浴びます。しかし参政党は期待値が低いところからスタートしているので、主張を変えても「成長している」「頑張っている」と許される雰囲気がある。
それに加えて参政党の躍進には、新たに獲得した支持者の傾向を考える必要があるでしょう。日本では出口調査で性別や年代くらいしか尋ねませんが、海外では学歴や年収、職業まで質問しており、アウトサイダー政党の支持者が平均的には高卒・高校中退などの低学歴で、非正規やパート・アルバイトのような不安定な仕事をしていて、年収も低いという結果が出ています。ここから、「グローバル化から取り残されたひとたち」がポピュリスト政党を支持している、というのが定番の説明になっています(ただし異論もあります)。
参政党の街頭演説に集まった支持者へのインタビューでは、メディアに批判的というより、そもそも新聞の政治報道やテレビの政治番組にほとんど興味がないらしいことがうかがえます。しかしこれは不思議なことではなく、新聞の社説や『文藝春秋』『中央公論』といった論壇誌の寄稿を読むような「エリート」は、国民のせいぜい5%程度でしょう。
これまで、リテラシーの制約から主流派のメディアに「包摂」されなかったひとたちは、沈黙するしかありませんでした。ところが、こうしたひとたちでもSNSやYouTubeでインフルエンサーが「問題」をわかりやすく説明してくれれば、「いいね」を押したり、賛意を示したりして政治に「参加」できるようになります。
「戦後民主主義」のリベラルはこれまでずっと、自民党政権を批判し、国民の政治への参加を呼びかけてきましたが、今回の参院選でまさにこの理想が実現しました。それに対して「民主主義の危機」と大騒ぎするのは、まさに自己矛盾でしょう。
もちろんこれは、「日本人はバカだ」といっているわけではありません。欧米でもリテラシーの低いひとたちの「反乱」が社会を揺るがしています。問題は、リベラルなエリートが「認知能力の分布の多様性」という不都合な現実から目をそむけていることです。これではいたずらに空理空論をもてあそぶだけで、いま起きていることがまったく説明できません。
[2/3ページ]



