「7回制導入」なら見られない大逆転も…夏の甲子園で本当にあった“8、9回のドラマ”
第107回全国高校野球選手権大会が8月5日から甲子園で開幕する。7回制移行への流れが急加速し、「野球が違う種目になる」と危機感を抱く声も多いが、甲子園球児の間でも「8、9回の攻防こそ野球の醍醐味」など、約9割が反対というアンケート結果が出たのは、周知のとおりだ。夏の甲子園を舞台に繰り広げられたファンの記憶に残る“8、9回のドラマ”をプレイバックしてみよう。【久保田龍雄/ライター】
お日さんが西から
「太陽が西から昇った」としか言いようがない、まさかの大逆転劇が見られたのが、1998年の準決勝、横浜対明徳義塾である。
悲願の甲子園初Vを狙う明徳は、準々決勝で春の準優勝校・関大一に11対2と大勝し、夢実現まであと2勝と迫った。
準決勝の相手は、“平成の怪物”松坂大輔(元西武など)を擁し、春夏連覇を狙う横浜。最大の難敵だが、松坂は前日の準々決勝、PL学園戦で延長17回、250球を投げ抜いた直後とあって、「明日(明徳戦)は投げません」と宣言していた。
松坂が登板回避なら、勝機は十分にある。馬淵史郎監督も「お日さんが西から昇らなければ、お前たちは勝てる」とナインにハッパをかけた。
その言葉どおり、明徳打線は4回から3イニング連続得点を記録するなど、横浜の控え投手2人を滅多打ちにし、7回終了時点で6対0と一方的にリード。7回制なら、ここでゲームセットである。
ところが、8回に大きな落とし穴が待ち受けていた。エラーをきっかけに2点を失った明徳は、継投策も失敗し、計4失点。一気に2点差まで詰め寄られてしまう。
そして、横浜は9回から松坂がマウンドに。まさに「お日さんが西から昇った」瞬間だった。
その松坂が3人でピシャリと抑えた直後の9回裏、横浜は犠打野選を絡めて3安打を集中し、7対6の大逆転勝利。渡辺元智監督も「今日勝てば、昨日(PL戦)の勝利が光ると選手に檄を飛ばしたが、私は(敗戦を)覚悟していた。9回に松坂が投げて、チームがひとつになった」と感慨深げだった。
一方、悪夢のような暗転劇に、馬淵監督は「あれで逃げ切れないとは、やはり上のレベルは違うんですね」と肩を落とした。
甲子園で一番印象に残っている試合
1993年の2回戦、久慈商対徳島商も、7回終了時点で0対7とリードされていた徳島商が8回に打者11人の猛攻で、一気に同点。7対7の9回にも1死一、二塁から長打で奇跡の逆転サヨナラ勝ちをはたした。地方大会なら7回コールドゲームになってもおかしくない試合が、8、9回のわずか2イニングでひっくり返ってしまった。
8、9回のドラマは、大逆転劇に限った話ではない。試合終盤の激しい攻防で、最後の最後まで勝負の行方がわからなかったのが、2006年の3回戦、駒大苫小牧対青森山田である。
夏の甲子園3連覇を狙う駒大苫小牧は、エース・田中将大(現・巨人)が胃腸炎で体調を崩し、先発を回避した結果、控えの2投手が5失点と打ち込まれてしまう。
3回1死から田中がリリーフも、直後にテキサス安打で6点目を許すなど、調子は今ひとつ。4回にも1点を献上し、1対7。この時点で、香田誉士史監督も「あれ以上は追いつけない」と敗戦を覚悟した。
だが、ナインはあきらめることなく、6回に2点、7回に2点を返し、5対7まで追い上げた。7回制ならここでゲームセットだが、試合は8回以降もめまぐるしく動く。
8回表、青森山田が1点を追加して3点差とした直後、駒大苫小牧も1死一塁から3連続長短打で、一気に同点。これに対し、青森山田も9回2死一、三塁からタイムリーで1点を勝ち越した。最終回の1点は重く、勝負あったかに思われたが、筋書きのないドラマはまだ終わらない。
その裏、駒大苫小牧は、中沢竜也の起死回生の右越えソロで9対9とすると、2死後、田中が中前安打で出塁。次打者・三谷忠央が左中間を破ると、田中は「何が何でもホームを踏んでやる!」と一塁から激走また激走で、サヨナラのホームを踏んだ。
最大6点差を克服し、8、9回の激しい攻防を制した末の逆転サヨナラ劇は、田中にとっても「甲子園で一番印象に残っている試合」になった。
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