【べらぼう】宮沢氷魚「田沼意知」を斬った佐野政言は生田斗真「一橋治済」に操られていたのか
系図のエピソードの終着点
矢本悠馬が演じる佐野善左衛門政言。NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』に、第6回「鱗(うろこ)剥がれた『節用集』(2月9日放送)」以来、たびたび登場してきた。佐野家は徳川家に三河以来仕えた家柄で、田沼意次(渡辺謙)の田沼家にとって、もともとは主家筋だった。
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第6回では、政言は息子の田沼意知(宮沢氷魚)を通して、意次に佐野家の系図を献呈した。この系図を好きに改竄し、田沼家の由緒を示すのに使って構わないから、よい役に取り立ててもらえないか、と頼んだのだ。要するに猟官運動だが、意知から系図を受け取った意次はいら立ちを隠さなかった。2代さかのぼれば足軽、という出自をたびたびネタにされている意次は、「出自などにこだわるな」といって、その系図を池に投げ捨ててしまった。
以来、佐野政言はたびたび『べらぼう』に登場してきたが、系図のエピソードをはじめ、この人物がなんのためにドラマに登場しているのか、いぶかしく思っていた視聴者も少なくないのではないだろうか。
だが、第27回「願わくば花の下にて春死なん」(7月13日放送)で、なぜ政言が出ていたのか、謎は氷解しただろう。田沼意知への(誤解にもとづく)恨みを募らせた政言は、天明4年(1784)3月24日、ついに思い切った行動に出た。
政言の役職は、将軍の警護役である新番士で、その日、江戸城本丸御殿の表の詰所にいた。そして、同じ本丸御殿表の御用部屋で政務を終えた若年寄の意知が、退出して廊下を歩いていたところに、突然、大刀を抜いて斬りかかったのである。
意知が刀を抜いて応戦できなかった理由
第27回はそこで終わり、第28回「佐野世直大明神」(7月27日放送)では、田沼家の上屋敷に運ばれた意知は手当の甲斐もなく死に、政言は伝馬町の揚座敷(身分が高い囚人を収容する施設)で切腹する。
意知にとっては、真っ当に応戦できなかったのは痛かった。江戸城内は原則として帯刀禁止で、装飾的な脇差だけ差すことが許されていた。しかも、その脇差でさえ、抜刀して応戦すれば喧嘩両成敗で処分されてしまう。その結果、相手を傷つければ、正当防衛であっても死罪は免れなかった。このため、意知は脇差の鞘で佐野の大刀を受けたが、肩先に骨まで達する深い傷を負ってしまう。
周囲の同僚たちがみな逃げ惑うなか、意知も部屋に逃げ込んだが、追いかける政言の刀を両股にも受けてしまう。70歳を超える大目付の松平忠号が羽交い絞めにし、目付の柳生久通が刀を奪い、政言がようやく取り押さえられたのは、しばらく経ってからだった。
政言は将軍警護用の大刀を抜いたと思われるが、いずれにせよ、城内で抜刀すれば死罪は免れなかった。だから、政言は刀を抜いた時点で死を覚悟していたはずだが、そこまでして田沼意知を亡き者にしようとした動機は、いったいなんだったのか。
斬りかかる動機としては弱い私憤の数々
『べらぼう』第27回ではまず、例の系図の件が蒸し返された。引き立ててほしいという佐野政言の願いが無視されたままだったので、意知は政言に、将軍徳川家治(眞島秀和)の鷹狩にお供する機会をあたえた。そこで将軍の目に留まれば引き立てられる、というねらいである。
ところが、鷹狩の際、政言はたしかに雁を射落したはずなのに、射落とした者が褒賞を受ける場に獲物が届かない。意知の提案でもう一度、林のなかを探したが、やはり見つからない。こうして政言は将軍の目に留まるどころか、むしろ恥をかくことになった。すると、匿名の武士が政言の矢で射られた雁をもって佐野家を訪れ、政言にこう告げた。「そこで見てしまったのでございます。田沼(意知)様がこれを見つけられ、隠されるところを」。
その後、政言は佐野家の家宝である庭の桜が咲かないと、もうろくした父親から叱責される。そこにふたたび匿名の武士が現れ、次のような内容を政言に伝えた。以前、政言が田沼意次に献呈した系図は「無きものに」された。また、政言が意次に贈呈した桜の木も、勝手に神社に寄進され、それが「佐野の桜」ではなく「田沼の桜」として愛でられている。
じつは、これらのエピソードは、意知が惨殺された直後から、佐野政言の動機として噂されてきた。政言は意知に斬りかかった際、懐中に7箇条の口上書を入れていたとされる。それはこの事件後、年月を経て書かれた作者不詳の『営中刃傷記』に記されているが、一次史料ではないので、信憑性についてはたしかなことはいえない。いずれにせよ、その内容はドラマで描かれたエピソードとほぼ重なる。
だが、はたしてこれだけの動機で、命を賭して斬りかかるだろうか。
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